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フランス旅行記 言葉のフェティシズムについて

外国語で言うとたとえ意味するものが大したものでなくても格好いいことがあります。

頻繁に外来語を使っているにも関わらず、つい異国の響きに酔いしれてしまいます。英語に関しての言葉のフェティシズムはなくなりましたが、未だ遠い存在であるフランス語やドイツ語には一種の憧憬を感じてしまいます。「共同体!」なんと言わずに「ゲマインシャフト!」などと言うほうが格好いいじゃないですか。

フランスのホテルでエレベーターに乗ったときでした。行きたい階のボタンを押し、ふと下の方を見ると知っている単語が1つありました。

「Parole」

ん?パロール?かのフランスの言語学者ソシュールが提唱した「言語内の規制によって実現される言語行為」という概念のパロール?と一瞬焦りました。

が、よく考えてみれば非常時に使うただの「通話ボタン」でした。

また帰りのエアーフランスに乗っていたときでした。座席後部に付いているモニターがフランス語だったので四苦八苦していると、また知っている単語がありました。

「Langue」

ん、ラング?これまたソシュールが提唱した、パロールの対となる「伝達を可能とする社会約束としての言語体系」という概念でのラング?

と、遠回りしたものの良く考えれば「言語を選択して下さい」という一文の中でただの言語を表しているだけの話でした。

人類学の中ではこれらの概念があたかも20世紀の大発明かのように捉えられ、うちの大学の教授達もこれらの語を発するときはもったいぶったようにフランス語で発音してみせようとします。このようにフランス語の単語がフェティッシュ化されると、意味は対したものではないのに、つい興奮してしまいます。

逆に考えると我々がさも大げさに使っている外来語の学問的概念は、当地の人々にとってはただの日常語でしか過ぎず、何も特別扱いはしていないわけす。外来語に頼りながら研究している自分にとっては、一体、日常語で学問ができるという状態がどんなものなのかわからないのですが、その感覚を体験してみたいものです。


追記:
中国である建物のドアのノブの部分に「拉」という単語が着いていました。てっきりラーメン屋かと思ってましたが、それは日本のドアに着いている「引」と同じ意味でした。引いてのばした麺だからこそ拉麺、なわけです。
by fumiwakamatsu | 2006-09-21 00:28 | 雑記
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