「『もし全てが相対的と言うのならば、相対主義も相対化されてしまう』、プットナムは
こう辛辣に批判した上で、次の点を指摘しながら相対主義が想定する立場に対してさらに 突っ込んだ言及を行っている。 それは、もし各地域文化の状況や標準に合わせて(相対化させて)Xが真実、もしくは正当化 されるというのならば、そのような相対主義者は、自らの判断をなにか絶対的なものだ と想定している、という点である。もし、各文化、集団、個人に合わせると、Xに関する発言は 正しい(正当化されうる)というのならば、『それは最終的には絶対的な真実の考え方があるという ことになる』。、各文化、集団、個人に合わせるとXが真実となるか、その問題に、相対主義を 信望している者が言及するとき、その言及自体が相対的かどうかまで答えなければならなくなる。 この点は是非とも強調させて頂きたい。というのも、我々人類学者にこのような哲学的問題が 介入するとき、十分に考慮されていないときが多いからだ。もし、今まで多くの人類学者が主張して きたように、ある点に関してAとBの社会(もしくは文化)は異なる見解を持ち、その見解はそれぞれ の文脈に照らし合わせてみると正当化される、もしくは意味が通ると、我々が主張したとしよう。 それならば、我々は、自らの主張に含まれた判断には絶対的な根拠があると想定することになり、 、その根拠を証明する必要に迫られてしまうのだ。」 Stanley Tambiah: Magic, Science, Religion, and the Scope of Rationality, p128
by fumiwakamatsu
| 2005-09-11 15:42
| 文化人類学
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