フェミニストの英文学者がVMI(ヴァージニア軍隊学校)について書いた民族誌(タイトルはBreaking Out)を読む。連邦政府の男女共学命令に対抗し、南部独特のジェントルマンシップを維持しようとする生徒・教授達の葛藤を描く。「変化を求める人間はおしめの濡れた赤ん坊だけだ」と言い切る教授さえもいる保守的学校。 面白かったのは学校が掲げる「ジェントルマンとは何か」という5つの教訓。 ジェントルマンは 1.自分の恋人についてむやみやたらと話さない。 2.たとえ少量でもアルコールを飲んだら決して恋人の家を訪れない。 3.バラックの窓から見える女性をひやかしてはならない 4.女性の長所・短所について決して語らない 5.見知らぬ人の背中をたたくときは女性を撫でるように優しくする とても勉強になりました! この学校では南北戦争時のリー将軍や、南軍が劇的勝利を収めた戦地などを校内の式典で神聖化している。従って、たとえ生徒が全米各地から集められていても、男女共学を強いる連邦政府の命令は「南部に対する北部の支配」として受け止められる。 まだ読み切れてないのでコメントはできないが、この話は「集合的記憶」と「象徴的空白(symbolic vacum)」という視点から考えると面白いかも。前者はよく知られている用語なんでここでは触れないけど、後者は別府晴海という人類学者が提案した理論であまり知られていない。 別府曰く、ある表象(sign)の想起する意味(signifier)が歴史的、社会的状況に応じてネガティブなものに変化すると、signとsignifierの断絶が起こり象徴体系に空白が生じる。そうなると、その空白を別のsignifierで埋めようとする働きが起こってくるという理論。 いい例が日本の国歌・国旗と靖国神社。日本人は他国のように国旗に敬礼し、国歌を歌う形で愛国心を示すことができない。その代わり、「日本人論」などの日本人の固有性を明確にしようとする大衆向け書物が氾濫し、消費に基づいた文化的ナショナリズムが起こってきた、と彼は言う。 果たして、男女平等準が当たり前になった社会では、VIMのジェントルマンシップは象徴体系の空白を生じさせてしまうのだろうか?そしてその反動でどのような新しい意味づけを行っていくのだろうか?
by fumiwakamatsu
| 2004-08-27 14:20
| 文化人類学
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