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KOKOYAKYU

人類学を勉強している者なら誰でも見たことのある「トロブリアン・クリケット」というドキュメンタリ
ー映画がある。イギリスで始まったクリケットが、パプアニューギニアのトロブリアン島に伝わっ
た後、どのように変容して行ったかを追ったものだ。これが、本場のクリケットとは全く違ってい
てかなり笑える。

タロイモの収穫時期に合わせて、祭のような感じでトーナメント戦が開かれる。各氏族が一つの
村に集まり、戦闘用の羽飾りを纏って対戦していくんだが、これがなかなか進まない。まず試合
前に相手チームを威嚇する踊りが披露される。その中には、世界大戦中に駐留していたアメリ
カ軍の飛行機を真似て、手を水平に広げながら行進するようなものもあれば(おそらく彼らが見
たものの中で最も巨大で恐ろしいものだったのだろう)、いかに相手チームの男達がヤリチンか
罵るようなものもある。そして、試合が始まっても一球投げるごとに、守備チーム全員でボール
に魔術をかけたりする。審判がいないので乱闘はしょっちゅうだし、一試合終わるのに3日かか
ったりしてしまう。

たしかに、ここまでクリケットが変わってしまうのは、「原始人だから仕方ないよな」と思ってしま
うかもしれない。しかし、これと同じくらい笑いを誘ったドキュメンタリー映画をアメリカで見たこと
がある。それは、日本の甲子園を追ったもので、その名もズバリ、KOKOYAKYU。

機械のように足並みを揃える入場行進。チアリーダーが、何故か女の子ではなくて、鉢巻を締
めたいかつい男。皆揃って丸めた五分刈りの坊主頭。そしてあたかも人生が終わってしまった
ように泣き崩れる敗北者達。

これら一つ一つのシーンが、アメリカ人からすると奇妙かつ滑稽で爆笑を誘っていた。個人的に
は感動して涙を誘ってしまうようなものでも、たしかに、アメリカ人からすれば自分たちの知って
いる野球とはかけ離れているのだから、仕方がない。
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by fumiwakamatsu | 2007-12-10 16:17 | 文化人類学

なぜ?という質問は答えられない

様々な方にインタビューをしてようやく気付いたのだが、何かを強く信じて生きている人に対して
「なぜ~するのですか?」という質問をしてもろくな答えは返ってこない。それは本人も答えを知
らないか、あるいは、誰かが勝手に作った答えを借りて「正しい」答えを用意するしかないからだ
と思う。

例えば、キリスト教徒に向かって「なぜ宣教するのですか?」と聞いたら、おそらく「聖書にキリ
スト教を広めるよう書いてあるから」と答えるはずである。しかし、それはキリスト教徒がすべき
ことと信じている規範を説明しているのであって、なぜ宣教という行動を正しいと思って遂行して
いるのかを答えているわけではない。つまり、ある行動を正当化する規範は説明できても、なぜ
その規範を正しいと思い行動に移しているのか、規範と行動の間にある合理性を当の本人はた
いてい説明出来ないもんである。

自分だって同じである。「なぜ金にもならないのに文化人類学なんて勉強してるんですか?」と
聞かれると、全く答えれない。「人類の間で普遍的に共通していることは何か、または異なって
いることとは何か、追求したいからだ」と答えたとしても、格好良くは聞こえるが、それは文化人
類学の教科書に載っている正しい答えを言っているだけで、なぜ自分がそのような問いを考え
たいのかは説明出来ない。「じつは、高校でニュージーランドに留学したときに現地校でマオリ
語の授業をとり、異文化について考えさせられたからだ」と答えたとしても、例えそれが事実で
あれ、当時は文化人類学のぶの字も知らなかったわけで、現在の自分を正当化するために過
去の出来事を恣意的に選んでロマンチックな語りを作り上げているだけに過ぎない。なんとなく
勉強しているうちに、なんとなく好きになってきて、これで飯でも食えりゃあいいな、というのが本
音だ。高尚なことは言えても、別に高尚な人間ではない。だから高尚で理念的なことを言う人
は、胡散臭いと疑ってしまうのだが、本人も説明出来ないのだから仕方ないな、と開き直る。

なんか話が横道に逸れたけど、ある人の行動の理由を聞いても、その行動の規範の説明しか
出来ないのが当たり前で、不毛な問いをしているわけである。当人でない人がその理由を追求
するには、「なぜ」の代わりに「どうやって」と問いを変えるしかない。「なぜそこまでして~をする
のですか?」という問いを何人かにしてきたけれど、フィールドワーク開始から1年も経ってその
愚かさに最近気付いた、というのがオチです。
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by fumiwakamatsu | 2007-12-10 16:11 | 文化人類学

地球温暖化の政治経済

地球は本当に温暖化しているのか?もし温暖化しているとしても温室効果ガスと言われる二酸
化炭素の過剰排出が原因なのか?よく古館さんが悲壮な顔して、どこそこの氷河が溶けてい
ます、どこそこの湖が干上がりました、と語っているが、メディアによって選ばれた局所的状況
が本当に「地球規模」という大きなスケールに結び付けられるのかは疑問である。

まず第一に、現在の気温の上昇が、工業化に伴う二酸化炭素の排出という人工的な原因によ
るのか、それとも地球が数十年、もしくは数千年という周期で繰り返される寒期と暖期の上昇期
にあるからなのか、科学者の間では結論が出来ていない。第二に、そもそも地球規模というス
ケールで均質に気温を測定できる科学的制度なぞあるのか、という問題に立ち返る必要があ
る。おそらくそのような制度もなくメディアが先に問題を誇大化しているのだろう。上に述べたよう
に局所的な気温の上昇を映像を使って恣意的に伝えることは出来てもそれが一体どれだけの
空間的範囲を超えて一般化出来るのかは科学的に証明出来ないのではないだろうか。

最後に一番地球温暖化説に疑問を覚えるのが、二酸化炭素排出権が国家間の売買取引とし
て成立している点だ。二酸化炭素の削減が国際条約として規範とされた後、規定された目標に
到達出来ない国は他国に金を払って超過量を負担してもらうという制度が出来ている。これは
裏返せば二酸化炭素を減らすことのできる技術を持つ国が、そう出来ない国から半永久的に金
を巻き上げることが出来る制度とも見れる。またそれは工業化によって経済発展を目指す新興
国に対して足かせをはめる戦略ともなりうる。こう考えると地球温暖化説とは先進国が儲かる為
のゲームに他の国を取り込むルールとして規範化させているとも思える。

自分は陰謀説は嫌いだが、何故アメリカが急にバイオエタノールを主要なエネルギー燃料に変
えようとしているのか、何故アル・ゴアがノーベル平和賞を取ることが出来たのか、その政治的
背景が気になるところである。もし地球温暖化説が国家戦略として意図的に作られたものであ
るならば、素晴らしいブレーンがいるのだなと逆に尊敬すらしてしまう。
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by fumiwakamatsu | 2007-12-10 16:06 | 文化人類学

モノガミーにモノ申す

異性の相手を1人だけ選んで生涯ずっと一緒にいるのが結婚なのか?人類学を学ぶ者ならお
そらく否定する。イスラム圏では一夫多妻が認められているし、チベットには一妻多夫(ただし男
は兄弟に限定)という形もある。インドネシアのある部族では異性間で結婚するものの、夫婦と
もに同性のパートナーなら婚外の性的関係が許されているところもある。日本も昔の武将など
は妻と男の妾を持っていたのだから、異性間の一夫一妻制というのはある社会のある特定の歴
史的文脈で定着しただけで普遍的な制度ではない。

では、もし自分がある女性に対して一生を捧げたいという感情が起こったとすると、果たしてそ
れは自分の本心から起こっているのか、それとも一夫一妻制を義務化する社会のイデオロギ
ーによって作られた感情なのか、と考えてしまう。頭では後者の理由を肯定しながらも、いざそ
れに対抗して何かしらの実践に移すのは難しい。しかし、中には実践出来ている人もいる。

うちの学部にすこぶる秀才の先輩がいるのだが、彼は同じく人類学を学ぶ女性と結婚した。しか
し、奥さんは婚後に自分がレズであることに気付き、別の女性と関係を持っていることを彼に打
ち明けた。2人とも夫婦関係を解消する気はさらさらなく、結論は、「一夫一妻制があるから初め
て浮気が悪となるのであって、浮気そのものが悪いわけではない」ということで、お互い婚外交
渉も自由な夫婦関係を続けている。浮気に伴う嫉妬という感情すらも乗り越えているのだから、感心してしまう。

こう書くと勉強し過ぎて頭がおかしくなったんじゃないか?と、思われるかもしれないが、真剣に
人類学を勉強するとこうなるのも仕方ない。
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by fumiwakamatsu | 2007-12-10 16:02 | 文化人類学

加齢臭は嗅げるのか?

先日、ある女友達と飲んでいたとき「電車の中の加齢臭って嫌だよね」という話になった。最初
は加齢臭のことを「カレー臭」だと勘違いしていて、週三回カレーを食べている身としては「ひょ
っとするとカレー食い過ぎたら出て来る体臭なのか?」と焦ってしまった。後に誤解に気付きホ
ッとしたのだが、そんな言葉、自分が渡米する前には聞いたこと無かったので驚いた。でもこれ
は面白い文化的現象だと思う。

おそらく加齢臭という臭いは日本にしか存在しない。以前にも書いたと思うけど、味覚や嗅覚と
いう曖昧にしか認識出来ない感覚は、対象となる味や臭いを表す言葉があって初めて認識出
来るものである。例えば、日本語では「旨味」という言葉を使って海産物などから取れたダシの
味を表現するけれど、そんな言葉のないアメリカ人は、同じものを食べたとしても「旨味」を識別
することはおそらく無理だろう。同じように、「加齢臭」という言葉のない社会では、中高年の醸し
出す不快な体臭を嗅ぎ分けることは出来ないだろうし、そんな臭いが存在するなぞ思いもしな
いだろう。日本国内ですら、若い女性は敏感に加齢臭を嗅ぎ取れるかもしれないが、男性は鈍
感かもしれない。こう考えると、加齢臭を嗅ぐことの出来る人間は地球上でも限られた極少数の
先鋭集団だけなのかも。その名誉が嬉しいか悲しいかは別として。

しかし、何故「加齢臭」いう言葉がごく近年の日本で生まれたのだろうか?自分が思うには、1)
電車通勤という男女の身体が密接に接する公共空間が日常にある、2)「サラリーマン」というカ
テゴリーに区別される中高年男性は否定的なイメージで表象されやすい、3)消臭効果のある
商品が差別化を図るために、ある特定の臭いを「敵」として宣伝した、などの原因が挙げられ
る。たしかに加齢に伴い新陳代謝の速度が遅くなることで、細胞の腐敗臭がきつくなる、という
生物・物理的な側面があるのかもしれず、全ての人類がそのような体臭を醸し出すのかもしれ
ないが、日本で「加齢臭」という言葉が定着したのは上の理由に依るのではないだろうか。バラ
の香りになれるガムや飲み物が販売され出したのと、加齢臭という言葉が出てきたのが同時期
なのも考えてみて貰いたい。

こう考えると、我々が普段何気なく認識している臭いというのは、ある社会のある時期に偶然作
り出された結果なのかもしれない。ただ個人的には、将来娘にファブリーズをぶっかけられる日
が来ると思うと、憂いてしまう。
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by fumiwakamatsu | 2007-12-10 15:54 | 文化人類学