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そうきたか

昨日書いたカナダ代表の”伝統”衣装。
気になったのでネットで調べたところ、

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開き直った正直さを感じる。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-31 04:17 | 雑記

伝統を創造するのも骨がいる

ミスユニバースで日本代表が優勝したそうで。48年ぶりの快挙だそうで。

ミスユニバースの大会では自国の伝統衣装を着て披露する審査がある。日本代表ならば浴
衣や着物や、果てには忍者の格好などをして無難に過ごすことができる。しかし、ふと考えた
のだが、カナダ代表やオーストラリア代表などはどうしてるんだろうか?一体どんな”伝統”衣
装があるんだろう?もしかしたら先住民の衣装を着ているのかもしれないが、それでは先住民
の方々からクレームが来そうだ。グリズリーやカンガルーの毛皮を羽織ってるんだろうか? しかも、
毎年違う”伝統”衣装を披露するとなると、そんなにレパートリーがあるのだろうか?

”伝統”というのはある国の中で自然に培われて来たというよりかは、国同士で競う国際的な場
に置かれることによって創られたり定義されたりしていくものだが、無いものをひねり出すのも大変そうだ。

ちなみに毎年日本代表の通訳を勤めていたゲイの友人Aは今年はしなかったそうだ。去年に
引き続き舞台裏の写真を送ってくれると期待していたのに。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-30 01:10 | 雑記

フランス語を話す甥っ子

先週から母親がフランスに住む姉の元へ行っている。共働きの姉はどうやら育児にバテ気味
で、母親にSOSを送ったらしい。2週間泊まり込みながら家事を手伝うそうだ。本人は孫をあや
して楽しんでることだろうけど。

今朝起きてパソコンを開くと母親から映像チャットの申し込みが来る。受け入れるとそこには
丸々太ったハーフの甥っ子ケンちゃんの姿が。向こうでは画像がテレビ画面に現れているよう
であり、ケンちゃんはテレビをずっと眺めている。いきなり変な男が画面に現れて驚いてるよう
だ。そこで手を振りながら

「ケンちゃーん!」と呼んでみる。

まだキョトンとして何も反応を示さない。もう一度、呼んでみると、

「ボンジュール」

と返事が来た。ボ、ボンジュール?聞き間違いかと思い、もう一度同じ様に呼んでみると、やは
りボンジュールと綺麗な発音で答えて来る。母親の説明によると、日本語で覚えているのは
「マンマ」と「これ」「あれ」だけだそうで、後はフランス語のみ。ケンちゃんは終止自分のことが
誰だかわかっていなかったけど、時間が経つにつれて機嫌がよくなり、フランス語で何やら一
言二言叫んでいた。

まさか、自分の甥っ子がフランス語を話すなんて夢にも思っていなかったので不思議な感じ。
しかし、よく考えると甥っ子・姪っ子は皆海外で育っているわけで、将来全員集合しても日本
語で話すことがないかもしれない。頼もしいような寂しいような。




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ロスに住む長兄の次女と次兄の長女。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-28 02:07 | 雑記

野球

今日は都内の人類学者が集まって野球大会が開かれる予定だった。が、残念なことに雨で流
れる。なまった体を暖めるために昨日の夜なぞはジョギングにさえしたのに、、、。飲み会
だけは開かれるので来ては?と誘われたが、やはり野球が無いと飲めないので断ってしまった。
明日はこの鬱憤を晴らすために1人でもバッティングセンターにでも行って来よう。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-26 01:35 | 雑記

赤ちゃんポスト

先日、とあるデパートに友人と出かけた。友人がトイレに行くというので、トイレから少し離れた
位置にあるベンチで待つことにした。座ってボーっとしていると、3歳くらいの女の子を連れた
カップルが来た。夫婦でなくカップルと書いたのは、母親の方が30代後半くらいで、男の方は
自分と年の差がない20代後半に見えたからである。個人的な解釈としては、シングルマザー
が新しい彼氏と一緒に子供を連れてデート中、だったのではと思う。

さて、母親が女の子を男に預け、トイレに行く。女の子は母親が離れた途端、「ママー!」と立ち
すくみながら泣き始める。自分の横に座っていた男は苛立って、舌打ちを始める。髪を金髪に
染め、どちらかと言うと地方のチーマーのような格好をしたその男は、敵意むき出しの目で女
の子を睨む。睨まれた女の子は竦みながらも男の目を見ながら泣き続ける。しばらくすると、
「おい、泣き止め」「泣き止まないと殺すぞ」と女の子に向かって言う。当たり前だが、怖気づい
た女の子はさらに大きな声で泣き出し、男は火に油を注ぐように「やかましい」と静かに怒鳴る。

そして、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、男は泣いている女の子の胸ぐらを掴み片手で持ち
上げた。「これ以上うるさくしたら本当に殺すぞ」と怒鳴った後、女の子を地面に投げ捨てた。
尻込みをついた女の子は最大限の声でわめき始める。すると、完全に切れている男はまた同
じように胸ぐらを掴んで持ち上げ、地面に放り投げた。さすがに周りにいた人達も異常さに気付
き、一部始終を見ていたショップの女性店員も「かわいそう」とつぶやいていた。しかし、自分
も含め誰もが見て見ぬふりを決め込む。

幸か不幸か、友人がトイレから出てきた。女の子のお母さんはまだ出てこない。その場を離れ
て、事の一部始終を友人に話すと、「まだ公の場だったから周りの目を気にして男も加減した
かもしれないけど、もし母親が仕事で出かけていて男と女の子が家に残されたりでもしたら、
もっと酷かったんじゃない?」と言う。たしかに。

幼児虐待という言葉からは漠然としたイメージしか思い浮かばなかったけれど、男からすれば
連れ子の女の子は可愛いどころか、疎ましい存在でしかなかったのだろう。逆に、例え自分の
子供であっても、赤ちゃんや幼児と接して愛着を持ったり補助の役目を果たす行動を取るの
は、それなりの訓練が為された結果なのかもしれない。こう書くと酷いように思われるかもし
れないが、子供に対する愛情や保護意識は、人間の本性として確固たる土台の基にあるわけ
でなく、薄い氷膜の上にある虚像として捉えたほうが現実的であると思う。母親や父親になっ
たからといって、母親的、父親的役目を果たすとは何も保障されているわけではない。

というわけで、話は飛ぶのだけれども赤ちゃんポストには賛成だ。子供の立場からして幸せを
考えるのなら、よりよい親に行き着く可能性が高い赤ちゃんポストをどんどん設置して行くべき
である。いい親になれても子供ができない夫婦だっているのだから、別にポストに置き去りに
することを悪として見なす必要はないと思う。














しかし、ここまで書いておいてなんだが、まさか上のデパートの話が今勝手に作った作り話だなんて言えない。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-18 22:03 | 雑記

目的論の問題

分析概念に目的論が含まれるのはいいことなのだろうか、という疑問をある方の
民族誌を読みながら考えさせられてしまった。まず問題なのは、人類学は
輸入学問になる傾向が強いことである。輸入学問とは、人類学内部の理論を
使うよりかも、他分野で構築された理論を用いてフィールドワークで集める知識を
学問的知識に翻訳することである。例えばなんだが、「生態系」という概念が
生物学から輸入され、自然と人間の関係を、あたかも他の動物と同じように、
閉じられた生業関係(生産、消費、エネルギーの循環など)に主眼を置いて考えていたのが、
60年代に流行った文化生態学である。ここでは「生態系」という概念で前提となっている
自然と人間との調和・循環的な関係を基にしてしか翻訳することができない。同じように、
政治に焦点を当てた人類学では、政治哲学で議論されている概念を用いてある地域の
制度や組織を検証している。しかし、政治哲学では「あるべき民主主義」や「あるべき
市民社会」という、倫理的に正しいとされる、もしくは、一種の理想型のような形で議論が
進まれていることが多分にあると思う。そこで、政治哲学の中で今最も正しいとされる
概念を用いて現地での知識を翻訳すると、たしかに、議論的には新しい主張を言えるとは
思うのだけれども、本当に現地の社会がその「あるべき」形に沿っているのか、と言うと
疑問に思ってしまう。その概念に含まれている目的論をわざと被せてしまっているのでは、
と思ってしまう。

しかし、だからと言って、「古い」とされている概念や理論を使ってしまうと、それは逆に
「倫理上正しくない」と批判される可能性もある。例えばなんだが、構築主義に基づいて
あるグループのアイデンティティーの歴史的成立を述べたとしても、「構築主義だけに偏ると
戦略的本質主義に基づいて政治活動を行っているマイノリティーの立場を否定している」
というような批判を受けることがある。例え、現地で接した人々の間には「戦略的本質主義に
基づいた政治活動」など皆無であっても、構築主義的立場で物事を語る政治性を批判されて
しまう。こうなると、政治哲学で最も新しく正しいとされる概念や理論を使ったほうが無難、
ということになる。

もちろん、透明で中立的な分析概念など虚構に過ぎないのだけれども、かと言って、
政治哲学の中で最も正しいとされる概念を用いると目的論に終止してしまう。綿密な翻訳と
政治的に正しい翻訳とのギャップをどう埋めていけばいいのだろう、と考えさせられる。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-17 01:55 | 文化人類学

格言好き

うちの大学の院生はeメールの末尾に自己紹介と供に、自分の好きな
格言を付けることがよくある。例えばなんだが、
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Fumitaka Wakamatsu
Social Anthropology, PhD Candidate

"Life is too long if you do not wish to achieve anything,
but it is too short if you wish to achieve one thing"
(Ishida Atsushi)
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という具合にメールの末尾に自己紹介だけでは物足りないようで、ちょっと
格好のいい言葉を付けたがる(この例は今作っただけで実際には使っていない)。
しかし、どれも思慮深い格言ばかりで、よく感心させられてしまう。

例えば、アジア研究学部の女の子は、

"Be the change you wish to see in the world"

と、ガンディの名言を付けていたりする。

学生だけでなく、学部の入っているビルの設備管理をしている陽気なおっちゃんは、

"Do not study hard, study smart!"

と暖かい言葉を付けてくれる。

一番気に入ったのは、中東の歴史を研究している院生のもので、

"Seek thirst, not water."

というイランの哲学者の言葉を引用したものだった。


ちなみに築地の研究をしているうちの指導教官は、

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格言の代わりに魚が泳いでいたりする。奥が深い。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-15 01:44 | 雑記

便所の落書きについて

先日、バークリーの院生と話をしていた。彼の友人で同校キャンパス内にある
公衆便所をくまなく回り、ドアに書かれている落書きについて解釈学的研究を
した院生がいるという。面白いのは、ただ性的で卑猥な落書きだけでなく、
マイノリティーを擁護するリベラルな学風としられている同校なのに、マイノリティ―に
対する誹謗中傷、そして、マイノリティー側の生徒からの同じように過激な反論でドアが
びっしり埋まった落書きが多かったと言う。その研究者の結論は、「政治的正しさ」が
規範となり、「政治的に正しくない」とされる言明が公に出来る場が少なくなったので、
そのはけ口として、匿名性が守られる便所という半公半私な場で「政治的に正しくない」
言明が突出して現れるようになった、だそうだ。

結論の良し悪しはさておき、母校の学部でも同じように便所の落書きが問題化
されたことがある。うちの学部は海外からの留学生と日本人の学生が同様に英語で
授業を受け、文部省から「国際的特色のある学部」として表彰されたこともある。しかし、
大便をしに便所の中に入ると、いかにその「国際性」というのが見せかけかが
わかるえげつない落書きでドアが埋められていた。日本人対外国人という図式だけ
でなく、留学生内での人種差別を露骨に表した落書きもあった。書かれた筆跡から
見る限り、誹謗の応酬はおそらく特定の人物だけが参加しているのでなく、普通に
大便をしに来た生徒が読んでいるうちに怒りがこみ上げ、連鎖的に書き込みを加えて
いったのだろう。学校側が何度もペンキで上塗りしてもいたちごっこで終わらなかった。

ネット上の掲示板にせよ、便所の落書きにせよ、匿名性を保つことのできる公の場という
のは面白い。どれだけ平等・公平を普遍的な価値として教育現場で植え付けようとしても、
匿名性だけ守られれば根っこにある差別的な見方などいくらでも露出してくるものなの
だろう。このような嫌らしい露出が「公の場での政治的に正しい発言をしなければならない」
という基準化が進み、その反発として出て来ているのかどうかは抜きにして、教育や
社会運動によって推進された平等観などは表層的な部分にしか浸透できない、という事実を
素直に認めさせてくれるのがこれらの場所だと思う。願わくば、ただ書き込まれた言説だけを
分析するのではなく、落書きをする人々を実際にインタビューするような研究が出て来て欲しい。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-13 23:57 | 文化人類学

努力とは

明日にも出産を控えた友達の日記にこう書いてあった。

「努力の努という漢字は、女の又の力と書くのだからね。」

とても説得力が、ある。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-11 01:30 | 雑記

理想の部屋 

私、家具屋さん巡りが趣味です。上智の寮に住んでたときは、1人で四谷から千駄ヶ谷まで歩
いて、お洒落な家具屋さんを散策してました。当たり前ですが買えるものなど1つもなく、ただ
並べてある家具を見ながら「将来の理想の部屋」を空想するのが好きです。もちろん、現実に
住んでいる部屋は、全く味気のない汚い部屋なのですが。暇があればIKEAにでも足をのば
してまた夢想に浸りたいです。

ところで、理想の部屋。個人的には、日本家屋なのに1部屋だけ出窓がついている洋風の書
斎が欲しいです。大正モダン風に天井が高く、薄暗いけど出窓から光が差し込むような書斎。
部屋の中には樫の木で作られた机と椅子、そして本棚だけ並べたいです。静謐な時間に任せ
て、ひたすら読書する。ああ、最高じゃないですか。

しかし、実際には一軒家を買える収入なぞ手に入るような気がしません。むしろ公園の段
ボールの方が現実味を帯びています。冬の木枯らしが段ボールを打ち付ける中、うっすら笑
みを浮かべて「理想の部屋」想像しながら人生を終える、、、、とても現実的です。別にネガ
ティブになっているわけじゃないんですが、「それはそれでいいかもな」なんて考えている自分
が恐いです。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-10 00:49 | 雑記