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信じる者は救われる

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by fumiwakamatsu | 2007-01-31 22:50 | 雑記

匂いフェチ

説明がつかない奇妙なフェチが誰にもあるものです。
決して他人にはその良さをわかってもらえません。

自分はエレベーターの匂いが好きでたまらないです。どのエレベーターでも良いわけではあり
ません。ほとんど使われていない、乾いたコンクリートと埃が絶妙に混ざった空疎な匂いが大
好きなのです。ですからエレベーターはなるべく1人で乗るようにして、深呼吸しています。森
林浴などより遥かに癒されます。

なぜ好きになったのかはわからないですが、物心ついたときからこのフェチが始まってました。
幼い頃、公団の上層階に住んでいる叔母の家によく遊びに行ってました。そこで乗るエレベー
ターの匂いが最高でした。鼻からスーハースーハーと豪快に匂いを嗅いで悦に浸っていた自
分を、横にいる母親が心配そうな顔で眺めていたのを覚えております。

でも東京では人が混んでいるせいか、なかなか良いエレベーターに出会えません。出入りが
少ない築20年以上の鉄筋コンクリートの建物が最も適した匂いを醸し出します。個人的には
この匂いの香水があればバカ売れするかと思うのですが、シャネルやイブサンローランは興味
が無いのでしょうか?全く損していると思います。

もし大金持ちになれば(なれる可能性はゼロですが)、個人用の高層ビルを立ててエレベー
ターの中に家を作ってみたいです。移動の為に使うのではなく、ただ匂いを楽しむだけに使う
という贅沢の極み。どなたか、こんな家に住みたいって人いませんか?
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by fumiwakamatsu | 2007-01-28 23:00 | 雑記

使い道はある

先日記事を投稿した某雑誌が届く。パラパラ捲っていると他にも人類学者が
記事を書いていたりした(N沢S一さんとかね)。たしかにスローフードだとか、
ロハスだとか売り物にしているわけだから人類学者が呼ばれるのもわかる。

ようは、近代の矛盾を「高貴な蛮族」的ライフスタイルで解決しましょう!という
プロットさえあればいいのだろう。自然との調和、緩やかな時間の流れ、有機的な
人間関係、これらのイメージをどっかの「高貴な蛮族」や「過去の日本人」に投射して
現代人が苛まれている(とする)都会の喧噪や疎外化などと対比させる。そして、
「彼らに見習いましょう」、と声高々に歌えばそれでいいのである。おまけに、彼らの生活
に近づくために必要らしい高価な商品を宣伝しておけば儲かるわけだ。こう考えると、
魂さえ売ればちょっと人類学を齧った人ならいくらでも記事が書けそうな気がする。

「こりゃ金持ちの嗜みだわな〜」とつぶやきながらあっという間に読み終えてしまった。
レトルトカレーに納豆と卵とソースをぶち込んで食べている自分にはスローフード
など余りにも空疎に聞こえてしまうのである。期限が来る前にメガマックも食べねば。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-25 00:20 | 文化人類学

恩師

上智のときの指導教官と会う。というのも彼が主催する一ヶ月後の研究会で
発表することになったのでアドバイスを伺いに行ったからだ。この人は生徒を
具体的かつ理論的に考えさせるのにずば抜けた才能を持っている人だと思う。
話をする度にブレイクスルーのようなものが起り、自分のやっていることは
こういうことだったのか、と改めて気付かされる。それも、彼が何かを押し付ける
のではなく、ただ質問をひたすらぶつけられ、押し問答しているうちにひらめきが
起る、という感じだ。彼は常に妥協をしないポジティブな姿勢を持っている。
それが、話し相手である生徒にも乗り移り、前向きな考えが起ってくる感じだ。

彼がここまで生徒の可能性を引き出すのが上手いのはやはりルールモデルが
あったのだろう。シカゴ大での彼の指導教官であったジョン・コモロフやサーリンズが
同じような姿勢を持っていたのだろうか。何はともあれ、自分も彼をルールモデル
として見習うべきだと反省してしまう。素晴らしい恩師に巡り会えた幸運に感謝したい。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-24 01:33 | 雑記

地獄という救い

一度調べてみたいことがあります。

それは、どの宗教でも死後の世界を天国と地獄に二分化して想定しているのか、という疑問
です。自分の知りうる限り、キリスト教、イスラム教、仏教は確実に死後の世界が天国と地獄に
別れています。その他の宗教(ゾロアスター教、マニ教、幸福の科学、etc)等では一体どうな
のでしょうか?おそらく天国と地獄という二分化はほとんどの宗教で想定されているのだと推測
します。

ここで面白いのは「なぜ地獄が必要か?」ということです。なぜ天国だけがあると想像できない
のでしょうか?死んだ人は全員天国に行けると仮定してはいけないんでしょうか?その疑問に
答えるために人類学的に色んな仮説を立ててみると、

1)機能主義的説明
「悪い行いをすると地獄に落ちるぞ!」と小さい頃に言われましたよね?つまり、天国に行けるた
めの条件を設定することによって、行為や言動を律する道徳的規範として社会に秩序をもたら
す機能がある。

2)政治経済的・唯物主義的説明
植民地化と宣教が結びついていたように、宗教というのは各時代の権力と密接に関連して来
たものです。「そんな宗教を信じていたら地獄に行くぞ!」と他の宗教を信じる弱者に対して迫
ることで改宗させ、権力・富を持った宗教集団に隷属させるイデオロギーとして役立った。

3)構造主義的説明
「天国」という言葉から想像されるものの良さは「地獄」という対にある言葉が併存しないと想像
できないですよね(逆も然り)?従って、認識の二項対立的な構造によって、「天国」「地獄」とい
う対になる2つの言葉がセットになっていないと、一方の意味を想定できない。

などが、仮定されます。

しかし、個人的にはこう思います。

地獄という考えはむしろ救いだ、と。地獄という場所では釜に煮付けられたり様々な肉体的・精
神的苦しみを被る羽目になっています。しかし、そこにはまだ生前と同じような「自己」が想定
されています。地獄で苦しみを被るということは、生前と同じように身体や感覚や意識がある
「自己」の存在が前提でないとその苦しみを味わうことはできません。このように、例え苦しくて
も「自己」が残るという地獄の想像は、逆に、もっと恐ろしい現実(ラカン的に言うリアル)を抑圧
しているのです。それは、死によってもたらされる完全なる自己の消滅です。無の恐怖です。
無の恐怖に比べると、針山や鬼の拷問など可愛いものだと思うのです。

というわけで、いつか機会があれば「地獄思想の比較研究」でもやってみたいです。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-23 01:06 | 文化人類学

実家近くで殺人事件

先ほど報道ステーションを見ていたら冒頭で見慣れた風景が映されてました。
実家のある京都の岩倉で精華大学の学生が刺殺されたそうです。現場は小学校の頃、
ジョギングしていたときの折り返し地点。身近な場所でこういう事件が起ると背筋が
凍るものです。犯人は若い男性で自転車に乗っていたらしいですが、そうだと岩倉住民の
可能性があり、また同じ小学校・中学校に通っていたかもしれません。

岩倉では昔も通り魔が出たり、母子の焼身心中があったりと確かに薄気味悪い町では
ありました。一度などは、実家のすぐ近くで痴漢があり、家の真ん前に「痴漢に注意」の
看板を貼られたこともあります(そしてもちろん、疑われました)。何はともあれ、少しは
イメージが良くなるよう早く犯人が捕まって欲しいののです
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by fumiwakamatsu | 2007-01-16 23:06 | 雑記

「ようはこういうことなんだろう」という説明への徹底的対抗

「人類学実践の再構築:ポストコロニアル的転回以後」を再読。

以前にもこの本を読んでいたのだが、これほど人類学の限界とそれを超えるための
挑戦を明確かつ前面に出した本は英語の文献を含めてないように思える。どの論文も
読み応えがあって面白い。しかし、その中でとりわけ浜本先生の論文が異彩を放って
いる。というのも、ほとんどの著者が自らのフィールドワークを顧みずに、理論的・抽象的に
人類学の限界・挑戦について語っているのに対し、浜本先生は御自身のフィールドで得た
具体的データを前面に出して語られている。これは非常に重要なことだと思う。

例えば、「異種混合性」や「脱領域化」という概念だけ論じたところで、実際、人類学者が
接する人々は、未だに民族主義的であったり土着的であったり、抽象的な概念が示す
方向性とは逆行していたりするケースが多いからだ。どれだけ理論的にある問題を乗り越え、
新たな方向性を示したところで、実際に我々の接する人々が同じような方向性に向かって
いるかは、調査で得られた具体的データに「語らせる」しかない。演繹法の罠にはまることが
最も許されないのが人類学の醍醐味であり、浜本先生の論文はそれを実践している。

浜本先生の主題は差異を語ることの中に潜む誤謬である。我々が差異を語るときは
隠喩的に表示するしかない。例えば、「アライグマ」という動物を全く知らない人に
対してそれがどんな動物かを説明するには「狸」に似た動物というように伝えるしか
ない。しかし、このような「アライグマ」と「狸」という対比に沿って隠喩的に語る
のは、「動物」さらには「哺乳類」という”普遍的”と思っている概念、もしくは
定規のようなものの上で、違いの”程度”を測ることができるという前提に立って
いる。つまり、AとBを対比して差異について語るときは、その異いを測ること
ができる何かしら共通の土台があることを前提としており、その前提が真実だと思い
こんでいる限りは結局のところ何も差異について語っていないのである。それが
浜本先生の仰る誤謬だと思える。そして人類学者はよくこの誤謬を犯してしまう。

具体的に浜本先生はケニア沿岸地域のドュルマ人の間で、自分たちの振る舞いを
説明する際に「キドュルマ」という言葉を使って説明している事象を取り上げて
いる。ここでその内容は詳しく書かないけれども、浜本先生はそのキドュルマと
いう言葉であるものごとの因果関係を説明するときの語り方は、我々の合理性の
範疇で想定する因果関係の説明とはどうしても異なる部分を前面に出している。
そして、ではドュルマの人達の合理性はどのようなものであるか、という答えを
断定的に出すようなことはせず、徹底的に本当の意味での差異に向き合っておら
れる。逆に浜本先生は、なぜ差異を語るときにある共通の土台なり定規があてはまる
と考えるのか、というさらに厳しい問いを読者に向かって投げかけておられる。

正直なところ、浜本先生のように「ようはこういうことなんだろう」という短絡的な
考え方に徹底して対抗するべき、というような教育はあまり受けてこなかった。
どうしても自分を含めて周りの院生は「理論的に何が新しいことを言えるのか」、
もしくは「今まで取り上げなかった新たな事象(例、医療問題、移民など)を
説明するための理論的な枠組みは何か」ということばかりに意識を集中して
しまっている気がする。「わからない」「説明がつかない」ものを素直に認め、
そのわからないものを創り上げている「差異」に対して徹底的に向き合う姿勢を
忘れている。従って、浜本先生の論文は自分にとっては素晴らしい戒めだった。

ただ、今自分がやっている研究を顧みて言えば、「西洋的自己」と対極にあるような
集団や事象(例えばアフリカの妖術、魔術、宗教儀礼など)にだけ差異を求めるので
はなく、「西洋的自己」と全く同化しようする、つまり自らの行為・思考が「西洋的
自己」と共通する「普遍的」な行為・思考と思っているような集団や事象の中にも
逆に差異、もしくはエキゾチックなものがあるのではないか、と思う。だから自分は
科学に焦点を当てている。しかし、あると思ってやっていてもまだ「説明しきれ
ないもの」にぶち当たっていない。科学というものは説明しきれないものを合理的に
説明しようとする営為なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。それでも、
とりあえず、あると思ってやっている。なんだか、最後は辻褄が合わなくなってきた
けれども、ようは「フィールドワークをちゃんとしろ」ということなのだ。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-15 02:28 | 文化人類学

Missing Boston

今日地下鉄丸の内線に乗って四谷に行くと、ふとボストンを思い出しました。
丸ノ内線は四谷駅だけ地下から抜け出て地上に出るのですが、ボストンでも
同じような風景があります。市内からレッドラインに乗り郊外に向かうと、途中
パッと地上の視界が開ける場所があります。しかも、目の前に広がるのは
チャールズ川のパノラマ風景。夏の夕焼けが川面に映る光景などは息を飲んで
しまいます。もう今頃は川の表面が凍ってしまってるんだろうな、と四谷駅にて
数秒ノスタルジアに浸ってしまいました。早くフィールドワーク終わらせて帰り
たい、と思ってしまったのですが、いかんですな、こんな弱気では。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-12 00:10 | 雑記

若者よ

バイトで某KO大学の1年生に英語を教えています。なぜ大学生なのに塾に通っているのか、
居酒屋に行くほうが学べることが多いのじゃないのか、と疑問に思いながらも教えています。
しかも彼は抜群に頭がいいです。理系だけれども文系の子以上に文章力があり考え方も
論理的です。

そんな彼が2年から専攻する学科を何にすべきか悩んでおりました。親が半導体を販売する
会社の経営者なので、跡を継ぐためにも電気系の学科を専攻するか、もしくは理系でも
経営学を学べる理工管理学を専攻するか。しかし、彼個人として興味を持っているのは
親の仕事とは関係のない生命科学の専攻だそうです。今週末までに答えを出さなければ
ならないので、今日は授業を中断して一緒に考えていました。

自分の場合は高校2年の時点で大学では文化人類学を専攻すると決めており、親も跡を継ぐ
よう全く強要しなかったので、このような悩みとは無縁でした。従って、アドバイスしても説得
力が無いのですが、「大学にいる間でしか学びたいことが学べないので、今一番興味のあるも
のを専攻したほうがいいよ」と生命科学を勧めておきました。また、彼ほど優秀な生徒なら将
来たとえ電気学・経営学を学ぶ必要に駆られても十分対応できると見込んでいます。個人的
には興味は冷めないうちに熱したほうが良いかと思うのですが、親はそういうことに気付かない
ものなのでしょうか。

じつは、同じく某KO高校1年のあまり勉強が得意でない生徒も教えています。彼の場合は親
が全国規模のエステサロンを経営しており、すでに跡を継ぐ事が決まっています。しかし将来
の夢は「そばを打ち職人」だそうです。あまり強気に「頑張れよ」とは言えませんが、「じゃあそ
ば屋になったときは食い行くからちゃんと美味しいの作ってくれよ」とだけ言っておきました。

あともう一人、同じ高校の3年生も教えています。彼はすこぶる勉強ができません。大学にはエ
スカレーター式で進学できるのですが、どれだけ授業が楽か、という基準で専攻を選ぶそうで
す。将来何になりたいのか聞いても「会社には働きたくない」ということしか決まってません。
じゃあどんな人を尊敬してるんだ?と聞くと「美輪明宏」という答えが返って来ました。

こう来ると流石に「興味に向かって突っ走れ」とは言えません。言ったほうが良いのでしょうか?
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by fumiwakamatsu | 2007-01-09 00:27 | 雑記

謹賀新年

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兄、母、父。元旦は滋賀県の湖西にある白髭神社に自ら運転して行って来ました。
やはりすでにペーパードライバー。運転を始める前に「では、今まで生きてこれた
ことを感謝して下さい」と家族に伝え、祈りを捧げさせました。そして、皆が叫び声を
あげるのを聞きながらなんとか当神社まで到着しました。

京都の実家に帰省して、すさんだ心身が癒されました。正直なところ、東京に戻って
来るのが億劫でした。豪勢な料理、尽きる事の無い酒、懐かしい友人達との再開、
そして、やはり家族の暖かみ。どれをとっても東京にはないものです。

しかし、甘えてばかりいられません。今年こそはなんとか研究を充実させていきます。
とりあえず当面の目標は「集中力アップ」。何をするにしても最後まで完逐するよう
心がけます。それでは今年も1年よろしくお願い致します。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-08 01:12 | 雑記