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帰省

今日、京都の実家に戻ります。

東京に残って年末はバイトでもしようかと思ってましたが、やはり日本にいる限りは実家で
過ごそうと思い直し帰ることにしました。年末実家にいるなんて5年ぶりじゃないかな。
あまりにも非生産的だった日々を反省するにもいい機会だと思います。
3日にはまた東京に戻ってきます。それでは京都におられる方はまた会いましょう。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-28 09:11 | 雑記

希望について

宝くじを買い続けている人がいるとします。

1等が当たる確率というのは限りなくゼロに近いです。また、例え配当金の低い賞が当たった
としても今まで買って来た宝くじの損額を取り戻ることは大抵できません。つまり、宝くじを買い
続けることで確実に損を出し続けることになります。その不合理はおそらく買っている人が最も
良くわかっているはずです。わかってはいるけどやめられないはずなのです。

では何故やめられないのか?

それは買い続けることによって「いつかは1等が当たる」という希望を想像し続けることができる
からでしょう。つまり、「買い続ける」という行為の連続によって出て来る想像が、損をするという
合理的な考えを上回っているのだと思います。逆に、損だからという理由で買うという行為を
止めてしまうと、「いつかは1等が当たる」という希望を想像できなくなってしまいます。行為を
止めると無に転落してしまいます。

じつは「希望」についてのある論文を読み返していたのですが、どうもしっくりきません。
その論文の中では「希望」を分析概念として捉えているわけではなく、調査対象者の「希望」
のあり方を人類学への批判的鏡とすることを主な目的としているので、詳細には「希望」
とは何かと書かれていません。しかし、希望は知識の再配置(relocation of knowledge)
を続けることにより起る、つまりある分野への取り組みが失敗に終われば新たな別の分野への
知識の応用へと転換をすることによって、希望が生じる、という論調で書かれています。

ここで使われている知識という言葉が少し漠然としており、自分が勘違いしているだけなの
かもしれませんが、どうも「知識の再配置」と言うと、予め作られた考えや思想なりが前提と
してあり、それを1つの分野から別の分野へと応用していく、言わば上から下へと動くような
感じがします。しかし、上で宝くじの例を用いたように、希望とは行為の連続から出て来る
想像のようなものであり、その行為を途絶えてしまうと想像が無に帰すので止められない
状況で出て来る、言わばもっと下から上への動きだと思うのです。「知識」と「想像」という
言葉に違いがあるので、上手く比較できませんが、どうもその論文を読んでいて行為の連続
から来る想像に焦点が当てられていないと思いました。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-23 02:51 | 文化人類学

アイディア枯渇

じつは先日拝聴した某討論会についてレポートを書くよう頼まれたのですが、
思っていたよりも遥かに苦戦しております。期日は今月中なものの、まだ日本語に
自信がないため、先週までには初稿を出してコメントを頂こうと思っておりました。それが
風邪を引いたのもあるのですが、気付いたら何も書けないまま今に至っております。
苦戦している理由は、まず初めて書く形式のレポートなので、どう構成を練れば良いか
わからず、また、部外者なのでどこまで内容を批評をすれば良いのかわからないからです。
うーん、どうしたものか。各論者の発表内容はまとまりましたが、それ以上何を書けば
よいかがわかりません。おそらく依頼者側としてはアメリカでの経験と比較した上での
新たな視点を求められているのかと思います。しかし、討論の議題が特殊なのもあり
比較できる点が見つかりません。会場や懇親会の雰囲気くらいなら比較できるんですが、
それでいいのかなぁ。アイディア枯渇中です。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-21 00:53 | 文化人類学

じつは本当の話なんだよ、というオチ

「モーターサイクルダイアリーズ」と「シティオブゴッド」。

ふと、昔見たこの2つの映画のことを思い出しました。この2つの映画、映像の構成が
たまらなく格好いいのは御承知の通りですが、もう1つ共通点があります。それは、映画の
ストーリをフィクションだと思わせておきながら最後のエンディングカットのところで、
「え、これ本当の話だったの?」と実在の出来事だと裏付ける映像を載せているのです。

例えば、「モーターサイクルダイアリーズ」ではゲバラと友人のアルベルトが一文無しで
ある南米の町に辿り着き、たしか巡業の医者だと偽って新聞に載り、一時のお金を得る
シーンがあります。そして最後に実際そのときに載せられた新聞の記事が出て来ます。
また、「シティオブゴッド」では、スラム街で抗争するマフィアのリーダー格の男が
刑務所から出所するときにテレビでインタビューされます。あまりにも血なま臭い内容の
ストーリーなのでフィクションだと決め込んで見てましたが、これもエンディングカットの
部分で実際にインタビューされていたときの映像が流れます。

この意外性の出し方が上手い。同じようなことを民族誌でも出来ないかな、とふと
考えておりました。99%、これはフィクションなんだ、という物語的書き方をして、最後に
「じつは本当の話だったんだよ」というオチを付ける。格好いいじゃないですか?でも
ドラマ性のある場でフィールドワークすること自体がものすごく難しい話ですわな。
それに民族誌だと読者も”真実”だと想定して読んでますので、同じ効果を期待する
のは無理ですかね。小説でしか無理かな。でもやってみたい。

さきほどネットで調べたら、じつはこの2つの映画、同じ人が監督したり総合指揮を
してました。どうりで映像もオチも格好いいわけですな。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-19 01:50 | 文化人類学

風邪とレズビアン

昨日は朝の5時までとある友人と飲んでおりました。
それが影響したのか完全に風邪。悪寒と熱にうなされてます。
一人暮らしだと誰にも助けてもらえないので辛さ倍増ですな。
今日は某所から頼まれていた仕事をやろうかと思ってましたが、
それも進まずロフトの天井ばかり眺めて1日が過ぎました。

ところで、昨日、うちの大学から交換留学で来ている学部生の
子と飲んでいたのですが、フェミニズムを極めるうちにレズに
なった友達の話をしてました。本当にフェミニズムを極めよう
とするなら確かに男が必要となくなるのは非常に理解できます。

しかし、政治的意識が性癖まで変えてしまうものでしょうか?
「それはセックスまで至らないレズビアンでしょ?」と聞くと
そうではないそうです。正しさを求めるあまり、性癖も変わる
そうです。実際、その友達は寮のルームメイトらしいのですが、
土曜の朝はone night standの子が居間にいるそうです。「男が
いるよりかは女の子がいるほうがましよ」と同室の身として
とても理解しているようです。そんなものなんかな。

ああ、しかし風邪がきつい。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-17 02:47 | 雑記

歴史家は格が違う

相変わらず歴史資料を某水産系大学で漁る毎日です。

歴史人類学を専門としている人類学者以外は、大抵、関心のある現在進行形の事象が
過去からどう起って来たか、という程度にしか歴史を調べようとしません。つまり、過去の
ある時期にあった現象が、それより前の過去よりいかに起って来たか、という作業はいう
ほどしません。しかし、歴史家はそういう作業をします。そして文献だけに頼りながらも、
過去の時期にあった現象を”再現”するように物語を記述していきます。

これは思っているよりもはるかに難しい作業です。と言うのも、ある過去の時点で書かれた
一次的資料が見つかったとしても、その作者はどういう人物なのか、一体どういう状況で
書かれていたのか、そして書かれている意見なり主張なりが実際どういう政策的な実践に
結びついたのか、つまりその当時の時代背景を総て把握した上でないと、その一次的資料
が意味を持たないからです。詳細な時代背景を自ら調べていくとなると文献採集は延々と
続いていきます。自分のような素人にはそのような能力と根気がなく、結局はそのような
時代背景を説明できている二次的資料に頼らざるを得ません。しかし、二次的資料を
超えた範囲で過去のある現象を説明する必要があるとお手上げとしか言いようがないです。

従って、もう何週間も1910−1930年代の資料を漁るだけになっています。本当は他の時代
の事象にも移りたいのですが、資料不足もあり”裏”がなかなか取れません。歴史家は”裏”
を取る作業をどうやっているのか、本当に不思議で仕方ありません。「この当時にフィールド
ワークをしていた人類学者の民族誌でも見つかればなあ」と思う事しきりです。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-14 00:10 | 文化人類学

キャンセル

昨日書いたクリフォードの講演の件ですが、どうやら急遽来日することができなくなり
中止となったそうです。このブログを見て行こうと考えておられた方々、すいませんでした。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-11 22:43 | 文化人類学

知らなかったのですが

今週の水曜日にジェームズ・クリフォードが東京で講演するそうです。

http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/academy/index.htm

全く関係ない話なのですが、先日、友人ととある水族館に行って参りました。

そこには鯨の骨格の標本が天井から吊り下げてあり、それを見ながら
「ああ、あれはセミクジラやな。泳ぐのが他と比べると遅くて、殺した後も
体が浮くから日本の沿岸で昔から良く獲られてたんよ」と、口にしました。
その後友人は「なんで骨見ただけで種類がわかるの?」と聞いてきました。
「いや、体全体と比較して手鰭が以上に大きいのと、頭の部分がずんぐり
丸くなってるでしょ?」と答えると「でしょ?とか言われても知らないから」と
言われました。説明を読むと確かにセミクジラでありました。

これがgoing nativeというやつなのでしょうか?研究で鯨の骨格標本を
文献や博物館などで見ているので、骨だけ見て大体どの種類か特定できる
ようになってきました。EPがアザンデの妖術を研究していたときは、夜中に
火の玉が通り過ぎるのを確かに見た、と記述しておりましたが、調査対象者の
認識枠組みが移入されてくると普通の人が見えないものが、徐々に見えて
くるようになるものなのでしょうか?人類学者の方々は本当は色んなものが
見えているけれども、それを口にすると一般人に引かれるから口にしていない
だけなのかもしれません。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-10 23:06 | 文化人類学

謎を問いかけるというのは素晴らしい

今日は東大であった現代人類学研究会の発表会に行って来ました。

以前にも述べたFさんのパプアニューギニアの貝貨幣の発表があり、発表内容は
論文を先に読んでいたので知っていたものの、貝貨幣の実物とフィールドの
写真を発表で見せられるということなので百聞は一見にしかず、と思い行って
参りました。

Fさんの研究はやはり面白い。論旨を自分なりにまとめると現在、Fさんが
調査を行ったパプアニューギニアの地域では、貝貨幣と法定通貨が併存する形で
使われています。普通ならば、その両者の間には一定の交換レートが存在し、
そのレートに基づいて両者を使いモノとサービスとの交換が行われるはずです。

しかし、Fさんの焦点は、その両者に別々のレートが用いられる場にあります。
どういうことかと言うとアイス一本が100円で貝貨50個という形で販売される
なら、揚げ菓子が200円だと普通は貝貨も100個というように両者の価格が
連動すると想定してしまいます。しかし、Fさんの調査では、アイス一本が100円
で貝貨なら50個なところ、揚げ菓子が200円ならば何故か貝貨300個として、
両者の相場が別々に決まりながらも交換が成り立っているという点です。つまり、
このような場では貝貨を使ってモノを買うと損してしまうはずなのに、その売買が
いとも当たり前に行われているというのです。損する点を当事者達に指摘しても、
理解する人もいれば、最初から知っていた人、または全く理解しない人もおり、
例え損を理解している人であっても、何の疑いもなく貝貨を使って損をしながら
モノを買ってしまう、という状態だそうです。発表は、もっと具体的に貝貨幣しか
使われない交換領域、法定通貨しか使われない交換領域、また一定レートで
両者による交換領域を説明された上で、以上のような我々の常識からすると
不可解と思ってしまう領域について説明されてました。

Fさんはジジェクを引用した上で、彼らは(損をしているという)真実を知らないから
このような売買を行っているわけではなく、不合理と承知した上で同じ行為を続ける
という「物神崇拝的な転倒」が起っている点を指摘されていました。正にその通り。
さらに面白かったのは、コメントを送られた方が「日本でもパチンコで同じ現象が
起っている」と指摘されたことでした。パチンコでは買うときの交換レートと、ゲームを
終えた後でパチンコ玉を換金するときのレートには絶対不利になるよう仕組まれている
のに、もし煙草などの商品のままでパチンコ玉を交換すると同じレートで済むものの、
必ず現金に換金してしまうということです。たしかに、もっと注視すると周りに同じような
現象はあり溢れているのかもしれません。

今回の発表で学んだのは、いかに聞き手にも同じように謎を考えさせるように話をするか
という点です。アメリカでの発表は例え拙くても自らの主張をするように教えられますが、
このように「何故損を承知した上での物神崇拝が起るのか?」と誰もがその答えを探って
しまうような形で問題提起する方が、聞き手にも、またコメントをもらう発表者側にも有益だ
と思うのです。その上にFさんの話方が落語的に落ちを入れて話されていたのも素晴らしかったです。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-10 01:18 | 文化人類学

笑っちゃ駄目なんだよ

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先日、某駅を出ると大音響で演歌が流れておりました。そそくさと音の方へ向かうと
「チャリティーコンサート」なるものがやってました。紅白の袖を付けた小さな舞台に
パイプ椅子が並んでおりましたが、座って聞いている人は皆無。それにも負けず、
歌っておられたのはセクシー路線演歌歌手でした。ホットパンツを履いて、ビキニを
付け、その上に赤いジャケット。寒いだろうに、誰もいない客席に向かって必至に艶かしい
ポーズをとっておられました。痛い、痛すぎる。さらに写真を撮るために接近してみると
若いかと思えばおそらく30代後半と思われる年頃でした。前髪はつっぱりヤンキーが
流行っていた頃の前髪でした。それでもやっぱり胸元を強調する姿勢で「恋の時雨が
ナチャララ〜」と歌っておられました。駄目だ、笑っちゃ駄目だ、一生懸命なんだから
失礼じゃないか、と思いながらもこみ上げる笑いを押さえ切れずに上の写真を激写。
おそらく田舎の温泉でおっちゃん達には大受けのスタイルを披露されていたのでしょう。

しかし、何故チャリティーコンサートにセクシー路線なのかが一番謎です。
何でも多角化すればよいというものでもないかと思うのですが。
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by fumiwakamatsu | 2006-12-08 23:17 | 雑記