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お家が無い!

ライシャワー日本研究所から今日メールが来て、夏期研究費に当選したとのこと。
「お金下さい」と言ったら「はい、どうぞ」と二言返事でくれた。あんなへぼい
研究計画書で通してくれるとは、、、なにはともあれ、帰国資金ができて一安心だ。

この夏は東京を基点にして、文献調査や将来のフィールドワークの準備をする予定。
7、8月をまるまる日本で過ごし、後はボストンにて調査予定書の作成に当てる。

が、東京で住む場所がない。去年は鶴見の伯父さんの家に泊まらせてもらったのだが、
都内まで2時間かかる不便さと、最後のほうは迷惑顔だったので、もう頼めない。
上智の寮に頭下げて泊めてもらおうかと思っても、この4月で閉寮してしまった。
マンスリーマンションも都内だと高すぎて手が出ない。噂の外人ハウスたるものを
調べてみたが日本人を受け入れてるところが少ない。うーん、困った。

どなたか都内で安く2ヶ月住める方法を知っておられませんか?
寮でもルームシェアでもサブレットでもなんでもいいです。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-20 16:41 | 雑記

The Plague of Fantasies (3)

「”社会主義が本当に存在していた”古き良き時代では、レーニンがどれほど熱心な読書家だったか、
どの子供も嫌になるくらい教えられていた。そして、『学習せよ!学習せよ!学習せよ!』という、
彼が残した若者へのメッセージも耳にタコができるくらい聞かされていた。このモットーを全く関係のない
文脈で使った古いジョークがある。これは社会主義国の間で流行っていたのだが、上手く皮肉が効いている。

”妻を取るか、愛人を取るか”という質問をマルクス、エンゲルス、レーニンの3人が答えることになった。
情事に関しては保守的だったことで知られているマルクスはもちろん『妻を取る』と答えた。
逆に、人生の楽しみ方を知っていたエンゲルス(注:彼は工場主の息子だった)は『愛人』と答えた。
驚くべきはレーニンである。なんと『妻も愛人も両方取る』と答えたのである。果たして彼は、
抑えきれない性欲を満たすために隠れて情事にふけようなどとと考えていたのだろうか?
『いや、そうではない』と断った上で、彼は矢継ぎ早に次のように説明した。『両方選ぶことで、
愛人には”私には妻がいるのだ”と伝えることができ、妻には”これから愛人の元へ出かけてくるよ”、
と伝えることができるからだ。』一体そんなことを伝えてどうしろと言うのだ!?彼の答えは
『学習せよ!学習せよ!学習せよ!』なのだった。」

Zizek "The Plague of Fantasies" p39より
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by fumiwakamatsu | 2005-04-19 19:52 | 文化人類学

The Plague of Fantasies (2)

「伝統的ドイツの便器は大便の流れる穴が驚くほど前にある。従って、大便が目の前に
置かれ、匂いを嗅ぎ、何か病気がないか照査するはめになる。その反面、典型的なフランス
の便器は穴が後の方にあり、なるべく早く大便が消えるようになっている。またアングロサクソン
(イギリスまたはアメリカ)の便器は、両極端にある2国のものを丁度統合した作りになっている。
便器には水が満たされているので、大便は浮きどうしても視界にはいる。しかし、ドイツ式のように
照査する必要はない。「Fear of Flying」という本の中で、Erica Jongはこのようにヨーロッパの
便器の違いについて述べているのだが、彼女は幾分嘲笑を含んで次のような主張をしている。
『ドイツ式便器は第3帝国(注:ヒトラー政権のドイツ)の脅威を示す中心的役割を果たした。たしかにこんな
便器を作りだせる民族なら不可能なことはない。』なるほど、彼女の主張はもっともである。
これら異なる便器が純粋に実用性を考慮して作られてないのは明らかだ。つまり、いかに
身体から出る不快な排泄物に主体を関わらせるか、という(国家の)イデオロギーがはっきりと読み取れる。

ヘーゲルは、ドイツーフランスーイギリス3国の存在論的差異について解釈を示した最初の1人である。
ドイツは徹底した考察主義、フランスは革命的な性急主義、イギリスは上品で実用的なプラグマティズム。

(中略)

これら排泄物に対する3国の取り組み方の違いを比べることで、その根底にある(国家イデオロギーの)
仕組みを一般化することができる。ドイツ式は理由もなく考察する魅惑に駆り立てるようにできており、
フランス式は不快な排泄物をなるべく早く取り除くよう急き立てる仕組みになっている。そして、
アングロサクソン式だと、排泄物を普通のもののように扱い最も適した方法で流す、というプラグマティック
な仕組みになっている。学者達は「我々はすでにイデオロギーから解放された時代にいる」などと、
いとも当たり前のように主張している。そんなことを円卓を囲んで熱く議論をしたとしても、トイレに行った時点で
すぐに気付くだろう。まだまだイデオロギーにどっぷり浸かっている、と。」

Zizek 「The Plague of Fantasies」 p5より

図書館で笑いを堪えるのが大変だった。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-17 13:24 | 文化人類学

慢性就職難の中で

面白いサイトを見つけた。
文系大学院生の傾向と対策

院生は無益な疲労・消耗・自己嫌悪に駆られる。
文系の博士課程を出て職につけるのは3割だけ。
学歴が高いだけに企業も無駄に高い給料を払いたくない。
だ、そうだ。人類学なら就職率は3割どころじゃないだろう。

ここまで悪条件が揃ってるのに文系大学院に行くということは
頭が良すぎるのか、ただの馬鹿なのか、それとも社会不適合なのか?
学者になるのは無理と悟ったら手遅れにならないうちにとっとと辞めるべきなのか?

自問しても「いい論文を書きましょう」という答えしか見つからない。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-15 13:36 | 雑記

文化産業と芸術の人類学

今日は独立時のインドにおける進歩的芸術家についての講演を聞きに行った。
西洋の近代主義にも染まらず、独立インドの国家主義にも染まらずインド人らしさ
確立していく上で新鋭の芸術家達はどのように主体性が位置づけられていったか、という内容。
1人のキリスト教徒の芸術家(名前は忘れた、が彼がマイノリティーであることが重要)の半生に絞って語られ、
彼の内面で個性・自由という価値観と大衆性・インド人らしさという価値観が相克していることを焦点に当てていた。
ヘーゲル哲学以来、インド人は歴史を作る主体として認められず常に西洋の時間・空間の周辺に位置づけれていたので、
彼は芸術家個人として歴史を作るのではなくインド人全体として歴史を作る主体を描き出す必要に駆られていた。
ここで以前にも述べたUncanny(不安)が絡んできて、相矛盾する価値観の二重性にはさまれたとき、
一種の余剰が生まれる。講演者はこの余剰の部分をDefered Fulfilment(不完全な達成)として表現していて、
ポストコロニアルの状況で生まれるこの不完全性が芸術家の主体性を形作っていた、と述べていた。
講演者がスライドで見せた絵は正直なところインド人の絵として識別できるものがなく、サインのインド名で初めてわかるものだった。

この講演は現在うちの学部が南アジアの専門家を雇うための選考機会として催されているので、教授陣も質疑応答は
かなり突っ込んだものになる。そこで、講演に来ていたC教授がとてもトリッキーな質問をしていた。
「もし私が1人の消費者として彼の絵を購入しようとすると、あなたは彼の絵のインド人らしさをどう説明しますか?」
そこで講演者の女性は「確かに絵そのものにはインド人らしさが表現されてないかもしれませんが、絵の背後にある作者の物語を
語ることによってインド人らしさを説明できると思います」と答えていた。これを聞いた瞬間、「ああ、ひっかかったな」と思った。
彼女は、人類学者として芸術を研究する役割と芸術作品・作者の価値を創造する批評家の役割を区別できていなかったのだ。
これはどういうことかと言うと、前者ならまず芸術自体を社会関係に当てはめ、商品として生産・消費・受容などの社会的側面
を研究する必要がある。しかし、彼女の場合、自らが文化産業の一員となって、商品の価値を作っている語りになってしまっていた。
いわば、例えポストコロニアルの芸術家の主体性を述べていても、それは芸術作品・作家の賛美に過ぎなかった、ということだ。
その後に続く質問もこの点を厳しく追及したものばかりだったが最後まで彼女から納得のいく答えが得られなかった。

じつはこれと全く同じ状況が日本研究をしている人類学者にもあてはまる。
海外に流失する日本のアニメや食品などの商品やメディアを研究する人類学者が最近ことに多い。
これら文化産業の研究は、生産・消費における階級や国民意識への批判として当初は始まったのに、
最近の研究を見ていると、どうも芸術家や広告企業を賛美して終わる、というのが多い。
カルチャルスタディーの負の部分を受け継いだ感じで、社会の文脈に焦点を当てた
民族誌の役割を重要視していない。これは悲しいことだ。

今回の講演者はまだ博士号を取得していないコロンビア大の院生だった。
その割にはとても落ち着いて貫禄があったので、すごいな、と関心した。
しかし、C教授の質問は上手かったな。じつはその前にマイナーな質問をして、
その後に「これは重要な質問ですが」と断った上で、上の一見なんともない質問をしたのだ。
教授職につくのがどれだけ難しいかとても勉強になった一日だった。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-14 11:42 | 文化人類学

新札発行

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by fumiwakamatsu | 2005-04-13 13:52 | 雑記

空中殺法は何処へ?

4年前にメキシコ旅行したときのこと。
最終日の晩にだけメキシコシティーにある日本人専用のドミトリーに泊まった。
これが安さ・綺麗さ・心地よさのどれをとってもそれまで泊まった安宿よりよかった。
滞在している人も旅行者よりかは長期の人が多く、むしろ本当に寮みたいだった。

グアテマラで青年海外協力隊をやっていて、メキシコに休暇で来ていたSさんという方と
仲良くなりビールを大量に買ってきてドミトリーのキッチンでしこたま飲んでいた。Sさんは
搾乳方法を教えるためにグアテマラに行ったのに牛がいなくて何故かサトイモの栽培方法を教える羽目になったり、
現地では中国人と間違えられて「Chino Meco!(中国人のホモ野郎!)」と侮蔑されたり、などの苦労話をしていた。

2人ともだいぶ酔っ払った頃、体格のいい女の人がキッチンに入って来て、何も言わずにテーブルに座り、
ひたすらプロレス雑誌を読み始めた。気まずい空気が流れたので、Sさんと目配せした後、「こんちは」と声を架けてみた。
すると向こうは雑誌から目も上げず「どうも」と野太い声で返事してきた。その声でもう確実だったので、勇気を出して
「あのぅ、プロレスやっておられる方なんですか?」と恐る恐る聞いてみた。雑誌から離された鋭い視線で眉間に
風穴が開くかと思った。「ええ、まだ見習いですけど」とまた野太い声。もう興味津々だったので質問攻めで場の空気を和らげた。

プルレスラーNさんはメキシコに来て2年目。現地の団体で住み込み修行しているらしい。何故メキシコを選んだのか、
と聞くと、「メキシコは空中技がすごいから」だ、そうだ。メキシコプロレスはリング外にマットを引いてないので、
場外乱闘になるとポールから飛び降りて攻撃する技で相手を倒すことが多い。その空中殺法の多様さ・華麗さに
魅せられてわざわざ日本を離れて修行に来たそうだ。男っぷりのいい気さくな方だったので、その後は会話が盛り上がった。

なぜか今日このことを思い出して、ネットでNさんを検索してみた。
やはりリング名は別なのか、検索には引っかからなかった。女子プロ団体のHPを
調べてみると、Nさんらしき人はいたものの濃いメイクのせいで判断がつかなかった。
一体、彼女は空中技をマスターして無事日本に凱旋帰国したのだろうか?それとも
そのままメキシコに骨を埋めたんだろうか?あのときメールアドレスでも聞いておけば
良かったな。ってパソコンなんて絶対使ってなさそうだったけど。

ネットサーフィンのついでに面白いサイトを見つけた。
127kgの成長日記。復帰を果たしたダンプ松本のサイト。
あと、ダンプの弟子である蠍ちゃんの日記もお勧め。
2人とも文章の節々に垣間見れる乙女心がかわいらしい。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-12 12:39 | 雑記

Flasher

(相変わらず昨日書いたことを続けると言って続けません)。

先ほど(夜中の3時頃)、ボストン大学のNさんからメールが来た。
こんな夜中に何かと思えば、図書館からの帰りに露出狂と遭遇したそうだ。
自宅のマンションの玄関ホールに黒ジャケットを着た白人のおっさんがいて、
鍵を開けて自室に入る寸前、「Miss! Do you know this? 」と叫んで見せたらしい。
隣人に助けを求めに行った隙に男は逃げ去り、他に危害はなかったそうだ。

しかし、一歩間違うとかなり危険な状態だったんじゃないか?
もしそのまま自室に入って来られればレイプされてたかもしれない。
Nさんは、とりあえず警察に報告して玄関に塩まいて清めたそうだ(アメリカで効くの?)。
「やっぱり陽気が良くなってくると、日本でもアメリカでも変な人が出てきますね。ある種の、
human universal... そんなhuman universal、嫌。」とNさんはメールを締めていた。
まあ、何はともあれ、トラウマを除けば大きな被害がなく済んで良かった。

このメールをもらったときフーコーのAbnormalについてレポートを書いていた(と、いうか今も途中)。
あまりに話題がタイムリーで笑ってしまった。性の基準化が抑圧を生む、なんてリベラルなこと言われても、ねぇ?
露出狂ならば抑圧されてしかるべきじゃないか?しかし、自分のお粗末なもの見せて何が楽しいんだろう?

ボストン在住の女性の方々、露出狂には気をつけて下さい。
(特にKさん、家近所だから気をつけて!)

ちなみに英語で露出狂はFlasherと言うそうです。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-11 17:10 | 雑記

「われわれはみんなペストの中にいるのだ」

フーコーの「Abnormal」を読んでいて考えたこと。
彼がライ病とペストの管理方法と権力の形成について書いていたとき、どれほどカミュの「ペスト」を意識していたんだろう?
「ペスト」が出版されたのが1947年。Abnormalの元となった講義が行われたのが1974年。およそ30年の隔たり。
フーコーはさておいて、今日はカミュの「ペスト」に絞る。

カミュがペスト比喩で用いたのは人間がたちうちできない巨大な悪を象徴したかったんだと思う。
ペストは定期的に発生して自然消滅してしまうが、それに対する人間の抵抗はあまりにも無力に終わる。
ペストが発生した街では軍隊の管理の下、出入りを禁止させ、発病患者を定期的に検査し、菌の流出を防ぐことしかできない。
つまり、ペストがたらす「死」とは自然が生み出したものでもあり、人間が「管理」と銘打って作り出した死でもある。
ペストとは絶対に逃れることができない「いまわしい虐殺」(P.301)のことだ。

カミュの実存主義は、人間の生には目的がないという「不条理」を直視した上でいかに生きるか、というのが中核にある。
詳細なあらすじは忘れてしまったが、カミュは「シシューポスの神話」で例え話を使って不条理を説明している。
人間を災害から救って英雄となるはずだったシシューポスが神の逆鱗に触れ懲罰を受ける。
罰としてある山の頂まで大きな岩を転がしていくのだが、頂上間近に差し掛かると岩は必ず転がり落ちていくので
永遠に繰り返さなければいけない。カミュの言う不条理とは、岩が転がり落ちるのを見て、「なるほど、そういうことか」
と、全てを受けれいれたときの冷徹なシシューポスの顔だそうだ。目的の無い目的を永遠に肯定する不条理。

内田樹が述べているように、「ペスト」の主題は、自分の外であらかじめ決められた「正しさ」により虐殺が繰り返される
という状況で、いかに「殺すな」という立場を貫くことができるか、という点だ。
ペストの街に残って患者の治療を続けるリウーという医者を通じてカミューはこう語る。

「さしあたって、僕は、自分がこの世界そのものに対してなんの価値もない人間になってしまったこと、僕が人を殺す
ことを断念した瞬間から、決定的な追放に処せられた身となったこと、を知っている。歴史を作るのは他の連中なのだ。」(303)

シシューポスと同じ運命を辿ってしまったリウーは、それでもこう表明する。

「そうして、僕はこう考えた――さしあたり、少なくとも僕に関するかぎりは、僕はこのいまわしい虐殺にそれこそ
たった一つの――いいかい、たった一つのだよ――根拠でも与えるようなことは絶対に拒否しようと。そうなんだ。
僕はこの頑強な盲目的態度を選んだのだ。」(301)

この表明どおりリウーはひたすらペスト患者の治療を続ける。誰も助からないと知りながら。
医者の特権を使って脱出することもできたのに、ついには身内である母も妻もペストで亡くしてしまう。
最終的にはペストの血栓が「外」の世界で発明され街は解放される。結局、リウーがしたことはシシューポスと同じで何の価値もなかった。
しかし、「虐殺」=「正義」という状況の中で「殺すな」という立場を取り続けただけでも、内田が言っているように、
「自分の外部にある悪と闘うのではなく、自分が生きているということ自体がすでに他に悪をなしているのではないかという顧慮をもって
生きること」を彼が実践していたことになる。ここに不条理に対峙する実存主義の倫理観がある。

(今、午前3時なんでまたいつか続き書きます)。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-10 16:05 | 文化人類学

劇場国家と曼荼羅国家

ネタが無いので昔書いたレポートを掲載。ギアツの劇場国家とタンバヤの曼荼羅国家という
政治形態を比較して論じたもの。焦点は劇場国家における国王の象徴性は国民を動員する
イデオロギーかどうか、という点。結論が何故か尻切れで終わってたり、途中で抜けてる部分があります。
完成版をどこにセーブしたか忘れたので中途半端になってますがご勘弁を。

The Galactic Polity and the Theater State: Pragmatics of Actions

     In this paper, I will discuss the two models of polity that both Stanley Tambiah and Clifford Geertz proposed as "a guide for the representation of similar institutions in Southeast Asia" (Tambiah). Interestingly, their models, the galactic polity and the theater state show a remarkable degree of similarity. First, I will illustrate focal features of the two models. The second section will elaborate Tambiah's critique on the theater state model, which lacks an explanation on the pragmatic of actions in mobilizing resources to construct the center as a radiant power.
     In Negara: The Theater State in Nineteenth Century Bali, Clifford Geertz locates the theatrical performance as a central function to reify the state power. In the West, the notion of the state presumes the tyrannical model of the command and obedience through the monopoly of violence. The theatrical performance, such as military parades, merely mystifies the reality, seducing the audience into thinking that the state is enacting power for its people (Geertz, 122). On the other hand, Geertz points out the importance of symbolic forms of polity that radiates its power through rituals in the 19th-century Bali. In this model of the theater-state, the power of each kingdom depended on how well it can symbolically construct a king as the center of a state through expressive symbols of ceremonies, ritual performances and architectures. The model of this polity was all-inclusive because none of the kings resorted to rules or military power to control their territories.
     There was another local-level system, called subak system, which consisted of irrigation cooperative units. While its members were tied with obligatory labor, the autonomy of each unit is guaranteed because of the specialized economic and social function it serves. While the subak system served as their own legislators, police and courts of law, its rice cult worshiped the king as a living-god. Therefore, "the king, court and negara were primarily engaged in 'expressive' ritual action (imaging the cosmic truth), whereas the lower orders in the countryside were engaged in 'practical' politics (and economics)" (Tambiah: 319). In Geertz's words " (t)he political center of gravity sat very low in the Balinese polity that culture came from the top down while power welled from the bottom" (1980: 84).
     Tambiah employs the term "galactic polity," which is a translation of the concept mandala, to explain the precolonial geopolitics and administrative organizations in many parts of Southeast Asia. In this mandala conception of polity, one unit of kingdom or, in his term, "galaxy" consists of the central capital and its surrounding satellites that are smaller replications of the former and governed usually by relatives or close affiliates of the central king. Like the theater state, the center represents the unity of a whole by functioning as a starting point for the performance of annual cosmic rites (259). This performative validity coincides not only with the belief system but also with personal conducts of kings whose personal charisma are strengthened by special initiation rites or in aesthetic practices.
      According to Tambiah, the political economy of this model depends on two bases. First, like subak system, the rice plains served as the primal economic system organized with particular relation of people to land and the patterns of mobilization of their services. Second basis, which Geertz does not mention in Negara, is the ruler's monopoly of foreign trade. Tambiah points to active trade exchanges between Central and Southeastern Asia that not only centralized wealth, technology and military force in the capital, but also facilitated expansion of new settlement and rice cultivation along with the development of the trading sector (275). As a result of interregional trade, each kingdom was able to incorporate minorities, waves of migrants, and groups of war captives without trauma because the centers provided privilege and status to fit them in their econ-political framework.
    In sum, two points should be mentioned as paralleling phenomena between the theater state and the galactic polity. First, both models demonstrate the interdependency between the center and its surrounding sub-units. While the former allocates symbolic status to the latter and, thereby incorporate it into their own realm, the latter provides economic or even political functions to the former. Second, both Geertz and Tambiah argue that it is a colonial political system that destabilized these well-balanced polities by dominating the center, rigidifying group distinctions and making the problem of status competition.
Despite these similarities, Tambiah responded to my question by saying that "the theater state model fakes the mobilization of people, labor and capital to bring products to the center and construct a 'theater.'" In the following section, I will elaborate Tambiah's critiques on Geertz's theater state and clarify the focal point of the debate.

Theater State as a Galactic Polity
      In his short article, A Reformulation of Geertz's Conception of the Theater State, Tambiah basically concurs with Geertz in that both Hinduism and Buddhism share cosmological schemes that creation spreads outward from a center, power radiates from the top to bottom, and each peripheral entity is a smaller replication of the central one (322). Differences between the two models do not lie in regional specificities in Bali and other Southeast Asian Indic States, but rather in the degree to which the two models attempt to dissolve the gap between ideology and practice. What Geertz failed to explain, Tambiah says, is the substantial gap between the expressive symbology of ritual and action at the level of court and instrumental pragmatics of politics and economics at the level of villages and regions (320).
      Thus, it can be suggested that the fundamental difference between the two models is in the balance between the totality of the cosmological scheme and the politico-economic reality. From Tambiah's point of view, the Balinese negara still exemplifies the conventional Marxist notion of "ideology," although Geertz argues that European ideological debate has reduced political symbology to political ideology and to class hypocrisy (Geertz, 167, Tambiah, 319). For Tambiah, the ceremonies and rituals of state are merely mystifying an illusionary unity among village communities and spiritualizing material interests of the ruler. Therefore, Tambiah equalizes the two dimensions: "the galactic polity as a totalization represents man's imposition of a conception upon the world while it is also a reflection of the contours of the politico-economic reality" (1985:319). Instead of dichotomizing into expressive actions in high order and the instrumental actions in low order, Tambiah attempts to overcome classical dichotomy between ideology and practice, and to show that "'practices' in fact exemplify the 'ideological constructs,' and vise versa" (322). I will sketch focal points of his critique on the theater state in the following few paragraphs.
      First of all, Tambiah points out that Bali manifested the same pulsations as in the galactic polity model. By a pulsating nature, Tambiah means that regional arena was "a part of filed of coexisting galaxies which mutually inflected one another, and thus expanded or shrank their outer frontiers according to their success in attracting, and then keeping, the outermost satellites within their orbits" (324). Although Geertz illustrates interregional conflicts and shifting alliances among smaller blocks existing at borders of eight different kingdoms in Bali, Tambiah criticizes him of leaving it ambiguous how the center of each kingdom could gravitate these blocks only by ritualistic performances. In order to deal with this pulsating situation, there must have been pragmatic actions and rules that mobilized resources and services at the margins of each realm.
       Second, Tambiah agues that "divine kingship" was not ensured by exogamous, patrilineal line, but involved with succession disputes and factional conflicts that shifted power dynamics within the court and between regions (324). Geertz does not clarify rules and norms in succession of kingship in any realm of Balinese kingdom. By citing examples of Thailand and Burmese, where "the multiple ranked marriages and concubinages" functioned as the pattern of political relations that linked the central and the peripheral domains, Tambiah hypothesizes that the central rulership depended on matrimonial kinship relations with its regional partners.
       The third critique, which is related to the second one, is that Geertz depicted the king as an immobile and passive sign rather than a human agency that actively improves his personal charisma and seeks for moral legitimacy of the rulership. Again, Tambiah illustrates examples in Thailand and Sri Lanka in which kings were engaged in personal achievement and commitment to Buddhist norms of kingship, such as donation to the Buddhist temple and to works in public welfare (326). He also points out that each king sought for the royal legitimacy through the possession of palladia, regalia, and other sacra "which are enduring sedimentations of power and virtue" (327). Similarly, there were various sacra associated with the capacity and legitimacy of kingship in Bali, and their travels served as the genealogy of kingdom (327). Therefore, Tambiah insists that Geertz's portrayal of kings omitted their personal conducts to approach the norms of ideal kingship or to acquire channels of power by possessing sacred emblems that ratified their rulership. In other words, "(t)he higher their position and the greater their kingdom's glory and prosperity, the more they were reduced to mere signs among signs" (321).
      Convincingly enough, Tambiah articulates intermingled connections between the expressive actions at the center and instrumental actions at the periphery: contested succession to the throne, political alliance between the center and its regions through matrimonial relations, kings' conducts in enhancing his personal charisma, and possessions of regalia, sacra or palladia to validate the rulership. His argument, which reminds us of Bourdieu's theory of practice (Bourdieu, 1972), restores individual kings' agencies and interests in "pulsating" relations between the center and the periphery, but at the same time, their practice reproduces the same scheme of a polity through expressive symbology of rituals and performances.

The Poetics of a Polity?

     Did Geertz reduce the Balinese polity into a poetics? Certainly not. I agree with Tambiah in that Geertz failed to articulate the pragmatics of actions, that is, resource mobilization to translate categories into practical use, or to organize relationships between actions and signs in a shifting political and economical context. However, this critique deflects the central point of Geertz's argument. What Geertz is aiming to clarify in Negara is the social nature of charisma, that is, not only power but also culture came from bellow. He would argue that both sings and meanings of the rulership are publicly shared between the center and its regions, and the performative actions in the center are merely to accrue the signs and thicken the meanings. This is why he emphasizes the cosmological tie between the king and the subak system. The rice cult in the subak system centered the king as a living god, and the cultivation of rice ritually became sacrificial labor for the king. Therefore, there was a unified system of symbology before any action takes place. A question that Geertz would pose to Tambiah is, "so why did people recognize a sacra as the symbol of the Balinese rulership in the first hand? Where did the common understanding come from?"
     In Centers, Kings, Charisma: Reflections on Symbolics of Power, he articulates the social nature of charisma. Similar to the individual agency that Tambiah discusses, Geertz says, "Charisma is (individual) involvement, even oppositional involvement, with arenas where the events that most vitally affect its member's lives take place" (Geertz, 123). In other words, there needs to be a connection between such an individual process and the symbolic values that constitute the social order. Therefore, he agues, charisma is not psychological state but a particular cultural phenomena that an individual constructs from "the inherent sacredness of sovereign power" (Ibid, 124).
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by fumiwakamatsu | 2005-04-08 14:43 | 文化人類学