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キビヤック

ある女友達が北米イヌイットの変わった食事を教えてくれた。
しかも、それはレストランで食事が運ばれる前の待ち時間だった。

「まずウミガラスをいっぱい捕るんですよ。それで、内臓を全て抜き取ったアザラシの中に、
殺したウミガラスを詰めるんです。もうアザラシのおなかがパンパンに膨らむまで詰めるんです。」

「ほほう。」

「そして、そのウミガラスが詰まったアザラシを地中に埋めて3年間くらい放置します。」

「そんなに長く放置したら埋めた場所がわからなくなったりしないんですか?」

「岩のようなものを上に置いて目印にしておくので大丈夫だそうです。」

「なるほど。」

「3年ぶりに掘り出したアザラシとウミガラスはもちろん腐ってます。」

「でしょうね。で、それをどうするんですか?」

「それでアザラシに詰まってたウミガラスの死骸を取り出すんですよ。
後は、ウミガラスの肛門から中のドロドロになったやつテュルって吸い上げるそうです。」

「テュルってですか?」

「そうです、テュルっとです。」




、、、、、、テュルっと、ねぇ。
この会話の後に運ばれてきたラム肉はあまりおいしくなかったな。
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by fumiwakamatsu | 2005-02-06 15:36 | 雑記

恋愛成績表

ある友人のサイトに載っていた恋愛成績表たるものを試してみた。
なんと結果は18段階で18位。ゴキブリ繁殖級だそうだ。
遊びでなくかなり真面目に答えただけにショック。
そうとう甲斐性のない男のようです。
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by fumiwakamatsu | 2005-02-05 13:49 | 雑記

どうするよ、言説?

今日はライシャワー日本研究所でポスドクをしているOさんの研究発表を聞きに行った。
彼はうちの担当教官がコーネルで教えていたときの生徒で、去年博論を提出した。
研究テーマはボランティアと市民社会の形成。東京の葛飾で1年間フィールドリサーチをしたそうだ。

さて、内容はというと、NPO支援法が制定されてからボランティアグループが一気に増加したが、
それは市民社会の自律性を高めるのではなく政府の権力が体制化される傾向にある、というもの。
Oさんはフーコーの統治性(Govermentality)という視点から、政府がボランティア支援を通じて市民の行動を規定化して行き、
その過程でボランティアの主体性(Volunteer Subjectivity)が生産・再生産され権力が浸透して行く、と主張していた。
あまり理解できなかったんだが、ボランティアの主体性はさらに保守的新自由主義のグローバル化と関連しているそうだ。

Oさんはこの主張の裏づけに、日本政府や知的階級が市民性の基準を明確にしてきた言説を過去に遡って紹介し、
(1)戦時中のファシスト体制、(2)戦後の高度経済成長期、(3)現在のボランティア支援の各時期には、
共通して「自律した個々の市民が近隣社会を支え合う」という市民性の基準が形成されてきた、と述べていた。
現在は戦時中の隣組のようにボランティアが体制化され、市民を主体化させると同時に隷属化させていき、
権力が浸透している、そうだ。あとは、保守的新自由主義とのつながりを述べてたが、いまいちわからなかった。

「で、葛飾はどうなったの?」っという話である。Oさんは一言も自分のフィールドリサーチに触れてなかった。
発表後の質問で、彼が葛飾の生涯学習センターで参与観察していたことが明らかになったのだが、
そのローカルな次元の話が上に述べた国家の次元とがどう相容れているのか、詳細な説明がなかった。
担当教官が少し怒気を含めて、「もう何度も繰り返し言ってきたが、人類学者として民族誌的記述を
君の論調の中にどうやって組み入れるんだね?これじゃあフィールドリサーチした意味が無くなるじゃないか」と突っ込んでいた。
Oさんは「この短い発表時間で理論的要点まとめるために民族誌の部分は抜きにしました」と反論。
これじゃあ埒が明かなかったので、「ではOさんが接したボランティアの方々は、一体どのような利点を認識して
NPOとして法人化しようと思われたんですか?そして、政府との関わりをどのように正当化されてたんでしょう?」
と、自分が質問すると、これまた回答があまり詳しくなかった。

フーコーの言説/権力論を使いたくてしかたない誘惑に駆られたんだろうなぁ、という感想だった。
フーコーの権力論を使うとショック効果抜群なのはわかる。本人達はいいことしていると思ってるのに、
じつはそれが権力の体制強化につながってるんだぜ、というような批判ができて格好いいしね。
でも言説にばかり目をやると個人の利益追求・実践・批判能力を無視しがちで、本当はもっと混沌としている状況を、
まるで機械的に権力構造ができあがってるように表現してしまう。
フィールドワークはその混沌とした状況に接するからこそ意義があると思うのだけれども。

実践/言説、主体関与(Agency)/構造、意識/虚偽意識、ブリコラージュ/科学的思考etc、、
これら水と油のジャーゴンをいかに民族誌の中で折り合いつけたらよいものか、ですな。
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by fumiwakamatsu | 2005-02-04 17:17 | 文化人類学

1320コミュニタス

文化人類学には境界的でどっちつかずの社会的状態を表すリミナリティという用語がある。
van Gennepという学者が「通過儀礼(1909)」の中で初めて使ってから定着した用語だ。
子供が一人前の大人として認められるために行われる通過儀礼を分離・過度・再統合の三段階に区分し、
特に、分離と再統合の間の過度の時期に行われる儀式をリミネール儀式とGennepは命名した。
そこから俗世界の中で身のおきどころを変化していく曖昧な境界的状況をリミナリティと呼ぶようになった。

さらにこのリミナリティという概念を発達させたのがVictor Turner。
Turnerはリミナリティにおける体制的・構造的に中心社会と対立する周辺的集団を「コミュニタス」と呼んだ。
彼が調査していたアフリカのンデンブ族では初潮を迎えた女の子や一定の年齢に達した
男の子を空間的に隔離し、村長が厳しく部族の道徳観を植つけるイソマという通過儀礼がある。
この時期の少年・少女達は、大人でもなく子供でもない曖昧な存在なので、
他の村人からは忌み嫌われ、近寄ろうものならばあっちに行け、と追い出しを食らってしまう。
従って、コミュニタスには過度性、他者性、構造的(象徴的)劣性という三つの様相がある。

アフリカの話をされてもよくわからんと思うので、日本の例を挙げると、
大学受験に落ちた浪人生がコミュニタスに当てはまるんじゃないだろうか?
浪人生は予備校という場所に隔離され、大学受験という儀式を通過するために先生の下で必死に勉強をする。
しかし、高校生でもなく大学生でもない曖昧な状態なので、社会からは冷たい目で見られる。
受験を通ったら、晴れてまた社会の一員として認められ再統合される。どうでしょ?

さて、Turnerの本(Forest of Symbols)を必修授業で読んだとき、「院生はコミュニタスの極みだな」と同期の皆と自嘲していた。
じつは、我々の中で「1320コミュニタス」という合言葉がある。1320とは学部のビルにあるコンピュータールーム。
そこに行くと、死に物狂いで博士論文を書いている院生達に出くわすことができる。
しかも、博士論文という儀式を通過したところで社会に再統合されるのか(教授職につけるのか)も不明なコミュニタスだ。
あそこに行くと不幸が移るぜ、と言わんばかりに皆そのコンピュータールームをできるだけ避けている。
しかし、後3年もすれば我が身も同じ。「ちゃんと再統合しろよなー、社会」と1320室でぼやいている姿が目に浮かぶ。
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by fumiwakamatsu | 2005-02-03 14:55 | 文化人類学

また明日から

まだ疲れが取れない。
なのに学校は明日から始まってしまう。
自分に言い訳しているつもりではないのだが、
最低あと一週間は休みが欲しい。どうにかならんものか。

明日は考古学と生物学の授業が2つある。
そして4時からはMahmood Mamdaniという
ルワンダの虐殺について調査した人類学者の講演がある。
この講演に先立って「Hotel Rwanda」という映画を見に行こう
と思っていたのだが、今日はその気力さえもなく家で呆けていた。
本を読んでは昼寝をし、昼寝をしては本を読み、全く内容が頭に入らず
ただページをめくっているだけ、という一日だった。

あと修士修了試験の結果が気になっている。
恐くて自分の書いた解答を見直してないのだが、
一問だけ少し的外れな答えを書いてしまい不安だ。
その質問に取り掛かったのが提出日の朝であり、
構成を考えずにひたすら書き続けたので内容がまとまっていない。
あの一問のせいで落ちてたらどうしよう、と悩む日々である。
結果は来週辺りに手紙で知らせてくる予定だ。

こんな悶々としたままで新たな学期に入るとは、、、。
学長に直訴して自分にだけ特別休暇とかもらえんかなぁ。
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by fumiwakamatsu | 2005-02-02 14:10 | 雑記

訃報

「ええか、人間の価値はなぁ、棺桶に入ってから初めて決まるもんなんや。
お前の人生はとんとん拍子で上手くいってるみたいやけど、あまり調子に乗りなや。」

会う度にいつも笑いながらこう説教していたおばあさんが昨日棺桶に入ってしまった。
朝一番に珍しく母親から電話がかかって来たと思ったら訃報だった。
身内以上に親しくしていた人なだけ、家族全員が悲しんでいる。
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by fumiwakamatsu | 2005-02-01 15:38 | 雑記