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明治維新

すごい集合写真。
明治天皇が一番小兵に見えるのがうける。
西郷どん、顔でかすぎ。フルベッキ博士って誰?
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by fumiwakamatsu | 2005-01-31 14:18 | 雑記

土台について

小学校の砂場でよく山を作っていた。
たいていの場合、山を作り終えた後にはトンネルを掘り、
そこに水を流して1つのジオラマを完成させるのが目的だった。

ある日、友達と一緒に砂山を作っていた。
こちらがさっさと砂を盛っていけば、彼はいつも頂を手で押しつぶして平らにしていた。
「せっかく砂を盛っているのになんで壊すんだ?」とつっかかると、彼は
「こうやって何度も平にすると土台がしっかりするんだ」と説明した。
早く山を作り上げようと焦る自分をなだめながら、彼は何度も平にしていった。
そして、ようやく強固な土台の上に山ができ、トンネルを掘って水を流した。
たいていは水を流した時点で崩れ落ちることが多かったのが、このときは崩れなかった。
なるほど、とこのときばかりは納得し、忍耐強い友達を尊敬した。

学問も全く砂山と似ている。
ある研究課題をどんどん飛躍させて面白いように書こうとしても土台がないとすぐ崩れ落ちる。
重要なのは、頂を潰されたように、自分の書いたものを壊す批判をしてくれる人間がいるか、だ。
批判を繰り返されるうちに土台が固まって行き、自分の研究課題の意義が明確になってくると思う。

以前書いたレポートを学科の同期に批評してもらったのだが、それを訂正してある授業に提出しようと思っている。
が、批判が的確すぎてどう改善すればいいものか、途方に暮れている。提出時刻まであと17時間程度。
崩され過ぎるのもよくない。でも、それに負けてもいけない。
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by fumiwakamatsu | 2005-01-28 13:58 | 雑記

ふぅ

先週の修士修了試験で体力を使い果たしてしまった、、、。
明後日提出のレポートが全然進まない。

っていうか、この大学おかしいですよ。
もし授業4つ取ったら期末に合計100ページ近く書くことになるんでっせ?
まあ色んな裏技を使ってまともに新しいものを書いたりはしないんだが、
それでも辛い、、、、これで博論なんて書けるんか?と自信喪失中。

しかも来週の火曜には春学期開始。
休みが4日だけ。なめてます。
学部の入ってるビルに飛行機突っ込まんかなー。

話は変わるのだが、将来フィールドノートは何語で書くべきか、考えていた。
同じ立場である日本人の人類学者に一度この話をしたら彼は全て英語で書いていたそうだ。
「最終的には英語で論文を書くのだから、最初から英語にしておいたほうが後で苦労しないよ」、と言われた。
もちろん、インタビューするときは録音するのだが、フィールドノートは現場の状況をできるだけ綿密に再現するから勢いが必要だ。
もしちんたら英語で書いていたら、どんどん溜まっていきそうな気がする。
こう考えると、この日記も英語で書くくらいの訓練をしておかねば。

ちなみに京都でフィールドリサーチをしている韓国人の先輩は韓国語でノートを取っているそうだ。
しかも彼女はアメリカに戻らずに、旦那がリサーチしているインドネシアに行って博論を書く予定でいる。
日本語でインタビュー→韓国語でノート→インドネシアにて英語で論文。こんな複雑な過程だと途中で内容が変わったりせんだろうか?
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by fumiwakamatsu | 2005-01-27 15:27 | 雑記

ヨーロッパを発射せよ!!

前回話していた科学vs科学について書かれた民族誌がようやく1つ見つかった。

タイトルは「Launching Europe!(ヨーロッパを発射せよ!)」。
EU宇宙研究所で各国の科学者が共同してロケットを打ち上げるまでの過程を描いている。
この企画はEU統合の政治的シンボルだった。過去の確執を越え、いかにヨーロッパ各国が協調して
1つの大イベントを成し遂げることができるかを示す企画だったのである。
しかし、そんな期待とは裏腹に内部は各国の科学者同士の確執が絶えなかったようだ。
このような場所で著者のザブスキーは人類学の古典的論題、
分業(Division of Labor)と社会結合(Social Corporation)について述べている。

まだ序章しか読んでないので、書評はまた今度。
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by fumiwakamatsu | 2005-01-25 16:34 | 文化人類学

なぜ一語なのか?

今日は堅いです。

人類学者のモースという人は贈与論(Gift Exchange)という理論を提唱した。
とても単純化してまとめると、ギフトとは与え手と受け手の間に何かしらの義務的契約を成立させる。
というのも、市場という交換場所のない社会では、ギフトを与えることで受け手に負い目を負わすのであり、
その交換を続けていくうちに恒常的な規則として社会に浸透して行くからである。

これに対してデリダがGiven Timeという本の中でモースを批判している。
ギフトという言葉の前提は個人的な利益を度外視したものであり、ギフトを交換して義務が生じるならば、
それは純粋な意味でのギフトではなく、モースの言葉の使い方は間違っている、と指摘している。
「モースはギフトと交換の間に生じる不適合性について十分考慮していない。
つまり、交換されたギフトは、その時点でギフトとしての効用(つまり無私益に与えられるべきもの)
が逆に無効になるという事実に気がついていなかったのである(Given Time 37ページ)」
つまり、デリダの言うギフトの不可能性とは、見返りが計算され、すでに私利益の含むような
ギフトはすでにギフトではない、というこうとだ。

この指摘は正しくない。
というのも、デリダのいう無私益のギフトとは商品と対立させて考えているからである。
つまり、商品が市場で交換された場合は、その対価に金額を支払う義務が生じるが、ギフト
とは誕生日プレゼントのように、個人の自由な意志から与えて見返りを期待せぬものである。
だから、交換という前提はギフトに当てはめるべきではない、とデリダは考えている。

しかし、モースは市場のない原始社会について言及しているのであって、ギフトと交換が
分離していない状況について述べているのである。
売買という行為が存在せず、どうしてもギフトが交換と繋がってしまう市場経済以前の実践について述べていたのである。
(ただし彼の贈与交換が恒常的な規則を作るという、個人の主体を無視した社会中心主義は批判されている)

デリダの批判的アプローチの意義はわかる(ったつもりでいる)。
言葉の意味が生じる前には、つまり、二項対立的な差異が生じる前から、差異化運動というのはすでに始まっており(差延)、
言語内におけるこの連続的な運動は、概念を定義しようとする目的からは切り離されるべきである、ということだろう。
従って言語体系における意味の形成は記号間における明確な差異によって形成されるというソシュールの考えを批判している。
デリダにとって意味とは現存在として言語体系の中に確立しているわけではなく、外部から補足物が内部に入り込み、
本体にすり代わったり(代補)するので、記号の意味を完全に把握すること自体が不可能なのである。
だから、デリダの目的は、X=Yである、と意味を固定化させる存在者の否定を狙っていたのだろう。

しかし、上の例で見たとおり、記号の意味の固定化に対して批判するデリダさえも
自己が埋められているイデオロギーから自由になっていないのじゃないのだろうか?
(この場合はギフトは交換とは相容れないと考える市場社会のイデオロギーである。)
記号間の差異によって意味が固定されないように、よく文学者は1つの記号(言葉)だけ抜き取り、
その記号の意味が固定化する前の流動性また複合性を回復させようとやっきになっているが、
はたしてその批判のプロセス自体にどれだけのイデオロギーが含まれているのか無批判な場合が多いのじゃないだろうか?
その行為こそが、さらに言語至上主義を加速してしまう恐れがあるような気がする。
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by fumiwakamatsu | 2005-01-24 19:38 | 文化人類学

我々はこうして始まった

ある本を取りに行くために動物学図書館にまで足を運んだ。
その建物はかつて形質人類学という、人類の進化を研究する学問分野の建物だった。
入り口を入るとすぐ右に「形質人類学者、アガシ名誉教授を記念して」という標識が目に入った。
「あれ、まだアガシの名前を残してたの?」と驚いた。というのも、昔は建物自体がアガシホールと呼ばれていたのだが、
この学者の人種差別的な思想が80年代に批判され、一切「アガシ」という名前が排除されたことを知っていたからだ。

去年履修していた社会人類学の歴史・概論という必修クラスで一番最初に読まされた本が
Bakerの書いた「From Savage to Negro (未開人からニグロへ)」という本である。
19世紀後半の人類学は進化論と人種差別が融合した形で発展し、
ようは猿からヨーロッパの文明人までの進化の過程がいかに形成されていったか、
そして、その証明のために黒人を”未開人”として位置づけることに躍起になっていたのである。
これは学界だけでなく、世間一般でも興味の対象となっていた論題であり、
アメリカの人類学はその期待に答える知の権威として発展していったのである。

その先頭に立っていたのがハーバードだった。
1893年、シカゴで万博が開かれた。
そのときの「人類の進化コーナー」の指揮に
当たっていたのが、このアガシ教授である。
彼は、アフリカ中部の森林の中で生活している
ピグミー族の男性をこの万博にまで呼び寄せた。
この部族は比較的背が低く、いわゆる弓矢などを使った狩猟生活を行っていた。
アガシ教授はこの部族について知った時点で進化が解明された、と信じきった。
ようはこのピグミー族こそが、他の類人猿と人類とを繋ぐ「失われたリンク」だと思ったのだ。

そこで彼が何をしたかというと、オラウータンがいる同じ檻に
このピグミーの男性を入れ、「進化の謎を解明!!」と題打って展示したのである。
そして、その檻の横では他の”服を着た”別のアフリカの部族が一緒に展示されていた。
今では信じられない話かもしれないが、平気で学者がこういうことをしていたのである。

この授業を教えていたのはアフリカ系アメリカ人のM教授だった。

「現在の歴史認識から当時の人種差別的な考え方を批判するのは簡単だろう。
しかし、そんな批判をしたところでナルシスト的な自己満足に浸ることしかできない。
まず君達が知っておくべきことは彼ら人種差別者と同じ知の権力の体制にいることだ。」

この言葉で人類学者としてのキャリアがスタートしたのである。
ハーバードという大学名からは、エリートとして空の上に生きている、と思われるかもしれない。
しかし、少なくとも学部の同期の皆は、自己の中に分裂的な感覚を持ちながら研究を進めている。
人類学は植民地主義との密接さや他者表象の問題でその土台が揺らいでいるが、
そんなのはまだ漠然とした言説上の問題であり、この例のように具体的な過去の遺産と直接繋がってるわけではない。
ポストコロニアルや脱構築などのジャーゴンを使って批判するような単純な目的論も許されていないのである。

ちなみにアガシ教授が世界に派遣した学者の1人が、大森貝塚を発見したエドワード・モース。
日本の教科書ではヒーロー的に扱われてません?
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by fumiwakamatsu | 2005-01-23 15:51 | 文化人類学

General

とある人類学者のお話。

彼がハーバードにいたとき(50年前くらい)の修士修了試験は口頭だった。
当時は親族関係における義務や権利がいかに血縁によって決定されているか、
各社会を比較研究して普遍的な法則を見つけ出そうという立場が主流だった。
そこで彼が口頭試験に出向くと、指導教官であるクラックホーンという教授が次のような質問をした。

「君は生物学がいかに親族関係論に影響を与えていると考えているのかね?」

「生物学なんて糞くらえだ!その質問に答えなければいけないならとっとと辞めてやる!」

と、怒鳴って部屋を出て行ったそうだ。
クラックホーン教授はゲイであり、先天的に自分がゲイになってしまった
と正当化たいから、血が人間の行動を支配するという理論を推し進めたかたったそうだ。
しかし、血が人間を支配するなんて馬鹿げた事があるか、と彼は真っ向から対立した。
そして彼は家に帰るとすぐに奥さんに向かって荷物をたたむよう言った。

しかし、確実に試験に落ちた、と思っていた彼は無事に合格通知を受け取った。
その後、「American Kinship(アメリカの親族関係)」という本を出版し、一躍有名になった。
この本は「血は水より濃い」という考え方がいかに文化的かを説いていて、
この本が出版されて以来、生物学的な親族関係研究は終わってしまった。
(最近は生物遺伝学の研究が親族概念を再定義する点に注目が集まっているけれども)
これが、文化人類学をやっている者なら誰でも知っているシュナイダーという学者の話である。

さて、現在は口頭試験ではなく、25問ほどの質問から3つ選んで3日以内に答える、という形式。
しかし、いざ同じ過程を通って初めてわかたったんだが、シュナイダーの度胸には恐れいる。
うちの学科にいる教授陣の本をちゃんと引用して彼らの意見に沿うよう丁寧に答えた。
だって人生かかってるのにわざと反論とかしませんよ、普通。

自分のような小物はたいした学者にはなれんのかな、と少し反省中。

(ちなみに上のシュナイダーの話はアダム・クーパーの「Culture」という本に書いてあります。
文化人類学内でいかに文化という概念が使われてきたか、最もわかりやすく面白く書かれている一品です。)
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by fumiwakamatsu | 2005-01-22 16:15 | 文化人類学

極限

さきほど試験のレポートを提出してきた。

なんと言うか、言葉が見つからない。

36時間寝てないので、

シマウマって調教できるんかな?

と考えながら学校から帰ってきた。
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by fumiwakamatsu | 2005-01-21 08:50 | 雑記

休業

明日より修士修了試験なので
3日ほど休業させて頂きます。

では皆様、御機嫌よう。
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by fumiwakamatsu | 2005-01-18 12:27 | 雑記

フェチ

ロシア人のルームメイトAに新たな彼女ができた。
それがまたとってもかわいいアメリカ人。

今朝、Aに「レポートの調子はどうだ?」と聞いてみると
「1つの授業をドロップアウトしようか悩んでいる」、という弱気な発言が出た。
どうやら彼女の家に入り浸ってて全然レポートを進めていないそうだ。
「恋にうつつ抜かしおって、もっとしっかりせえ」と言うと
「こればかりはどうにもならん」、と情けなく語る。
まあ、あれだけかわいい彼女なら仕方ない。
が、大学院生なんだからもっと大人になりなさい、と説教した。

彼女はAで10人目のロシア人の彼氏だそうだ。
比較文学専攻で、ロシア語がかなり流暢らしい。
出会いはボストン市内で開かれたロシア人年明けパーティー。
お互い同じ大学にいることを知り、急接近した。
しかし、10人目のロシア人ってすごい。
Aもそれを気にしているようだ。

どこかに日本人男フェチの子っておらんかなー。
でも日本人のとりえってなんだ?

(一瞬、「金」って言葉が頭をよぎりました!)
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by fumiwakamatsu | 2005-01-16 12:27 | 雑記