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年末にこんなことしてます

年の瀬が近づくにつれ多くの友人から挨拶のメールが送られてきた。
どのメールにも「修士修了試験があるので年越どころじゃあない」という返事を送っている。
そのせいか、過去の日記を読み返すと、「終了」と書くべきところが「修了」に漢字変換されて残っているとこが幾つかあった。
今の頭の中はこの修士修了試験だけだ。

この試験は通過儀礼のようなものだ。
過去20年間で落ちたのは3人だけで大抵は受かるようになっている。
教授陣も落とすためのような試験は作らずに、学んできたことの復習程度にしか捉えてない。
形式は3日間の時間猶予を与えられたTake Home Examで、
30問ほどの質問リストから3問選び、25ページ以内でレポートにまとめる。
各教授が授業で教えた内容に基づいて質問が作られるので、必ず親しみのある質問がある。

例えば、去年はこんな問題が出された。
「ナショナリズムと人類学の歴史的関係は何か?そして、その関係がいかに現在の文化概念の用法に
影響を与えているか?すでに出版されている民族誌(そのうちの1つはヨーロッパを対象にしたもの)
を使って具体例とともに答えよ」

他には、もっと専門的な問題もあり、例えば
「Biopower, Biosociality, Biological Citizenship, Genetics Citizenshipなどの概念は何を意味するのか?
フーコー、ラビノウ、ペトリアナ、ラップが主張するこれらの概念を比較検討して答えよ。」

中にはもっと一般的で変わった問題もある。
「人類学内で議論されている論点を学習するための授業をあなたが受け持つこととする。
そのときどのようなテキストを課題に出すだろうか?その理由も述べて答えよ。」

まあ問題を読んだ時点でどの教授が出した質問かはすぐに見当がつくので、
(例えば1番目はナショナリズムを研究しているH教授、2番目は医療人類学のK教授)
その教授の授業で取ったノートやテキストを見直して答えれば大まか大丈夫。
あとは、質問に沿うよう過不足なく論調を整え肉付けをしていけばいい。

来月の18日から20日までがこの修士修了試験の期間。
正直、問題に答えることができても、書く時間が足りるかどうかが心配で、先に答えを用意しておかないといけない。
従って今はもう新しい本を読まずに、今まで読んだ本の内容を要約し、テーマ別にノートを取っている。

2004年はこうやって地味に終わりそうだ。
皆様、よいお年を。

<追記>
強がっていたけれど、空腹で勉強していると日本で食べたいものばかり頭に浮かんできます。
ふぐ食いてぇ、焼き蟹食いてぇ、赤坂ラーメン(固め、濃いめ、油多め)食いてぇ、モーモーパラダイス行きてぇ。
と、このひもじさを伝えるべく先ほど実家に電話したら、母親が
「今日は大掃除終わった後、皆で蟹道楽に行くのよ。フミ君はいなくて残念ねぇ、うふふ」だそうだ。
このブルジョワ一家めー!!
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by fumiwakamatsu | 2004-12-31 07:10 | 雑記

近代の狭間で

近代の特徴の1つが時間のアイデンティティーの変化。
伝統的と呼ばれるものから自己が乖離して、それを外から眺めるようなアイデンティティーが生まれる。
問題は(自国の)伝統と(西洋の)文明が両端にあるような尺度の物差しを、誰が誰に対してどういうときにいかなる目的で使うか、だ。

さて、昨日はインドネシア人Dの家に昼食を招かれた。
行ってみると他にもインドネシアから来たDの友人3人が来ていた。

A(男)はBUの大学院で英語教育を学んでいて、インドネシアの文部省から派遣された留学生。
T(女)はMITの大学院で建築を学んでいる。ジャカルタ出身だがずっとインターナショナルスクールに通っていたそうだ。
S(男)はペンシルバニアの語学学校に通っていてAを訪ねてボストンに遊びに来た。マレー人の他の2人とは違って彼はパプア出身。

主にAとTが主導で日本に関する質問攻めにあった。
「サムライってまだいるの?え、いないの?じゃあニンジャは?お相撲さんってなんであんなに太ってるの?
クレヨンしんちゃんって知ってる?インドネシアで大人気だよ。ドラえもんとホカホカ弁当も人気だしね。Fumiはノビ太に似てるね。」
などなど、怒涛に続いた。ノビタに関してはタイでも同じことを言われたことがある。日本人で眼鏡を着けてればノビタなんだろう。

質問が一段落したところでAが独り言のように呟いた。
「日本は素晴らしい。西洋化していてもちゃんと自分の国の文化を保持している。
それに比べてインドネシアは何でもかんでも西洋のものを受けれいれるだけでいけない。
一体どうして日本人は自国の文化を見事に守っていけるんだ?」

この質問には参った。文化の政治学を説明して場の雰囲気を汚しても仕方ないので
「日本もインドネシアとそう変わらんよ。皆、Tシャツ着てジーンズ履いてるしね。
伝統的に残ってるとしたら正月の御節料理や結婚式に着るときの服装とかかな。」
おそらく後者も近代以降に創られて浸透したものだと思うけど、とにかくこう言って逃れた。

Aは矛先を変えてSに向かい「おいS、お前のところの習慣(Custom)について話してあげなよ」と言った。

Sは3人の中で一番静かだった。そして、このAの提案に対して明らかに決まり悪そうな顔をしていた。
「僕はパプア島でも都会で育ったんだが、いわゆる”未開人”と言われる人々が住んでるところでは」とSは前置きして、
未だに一家の主が死んだら家族全員が小指を切ったり、金じゃなくて貝が通貨として流通している、と言い、
そして最後に「どうやら人類学者はそんな習慣を記述するのが好きで、パプア島は大人気みたいだけどね」と言った。
彼は明らかに「いわゆる未開人」として見られることを拒否していた。そして最後の一言には人類学への非難を含んでいた。

ここでDが素早く切り込んで、インドネシア語で人類学はもう未開の学問じゃなくなったんだ、と説明したようだった。
この後も少し会話が進んだんだが、3人がハーバードのキャンパスを見学に行くために昼食会は修了した。

帰り道、本屋に寄った。探していた本は無かったんだが、FabianのTime and Otherという本を買って帰った。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-29 22:36 | 雑記

意外にも日本食三昧

25日はKさんと夕食して映画を見に行った。
クリスマスの夜に2人して負け犬の定義に文句を言いながら、しゃぶしゃぶを食らっていた。
放映されていると思っていた映画が何故かされていなくて、代わりにMeet the Fockerというコメディーを見る。
これが大当たり。幾つかわからないギャグがあったが、それでも十分元が取れるほど笑えた。

26日はこのBlogを通じて知り会った日本人の人類学者夫妻のお宅に招かれて鮟鱇鍋を頂いた。
BUで人類学を学んでいるNさんも連れて行き、日本の人類学事情について色々お話を伺った。
前から自覚はしていたんだが、アメリカの学生は専門分野の本ばかり読んで日本の学生ほど他分野の本を読まないようだ。
もし時間があれば西洋哲学、批評理論などを体系的に勉強したいのだが、いかんせん、宿題に追われる日々でどうしようもない。
日本の大学では人生の集大成として定年間際に博士号が授与されるのが、つい昔まで当たり前だったそうだ。
しかし、博識な学者である人間が博士なのだから、それも至極当たり前と言えば当たり前。
このまま狭量な知識で博士課程が終わってしまう可能性があると思うと恐ろしい。

会話が盛り上がり、4時半スタートだったのに気付けば11時半になっていた。
異国の地で鮟鱇を食べることができ、しかも貴重なお話まで聞かせて頂きありがとうございました。

今日は来月に迫る修士修了試験のために、これまで読んだ本のリストを作っていた。
普段の記憶からは消えいるが、こうやってリストを作ってみると、これまで学んだことの重みが蘇ってきた。
丁寧に論調の組み立てさえできれば試験は以外と簡単にクリアできるかもな、と自信過剰気味。
夜は教育学部にいる日本人の友人と近所の日本料理屋へ出向く。牡蠣フライの美味さに咽び泣きそうになった。

日本に帰れないわりには意外と日本食を堪能することができて寂しくはない。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-28 14:18 | 雑記

笑顔のない友情

昨日の議論が尾を引いたため今朝ゲルマンにキャンパスを案内していても会話は少なめだった。
一度根本的な部分で対立してしまうと、もう深みにはまらないよう表層の話しかできなくなってしまう。
ゲルマンが市内を観光している午後は自宅で勉強し、夜からPark Stにある教会で落ち合うことにした。

その教会はボストン最古のものの1つで、一番最初に奴隷制度反対を唱えたそうだ。
上智ではカトリックのクリスマスミサを何度か経験したがプロテスタントのミサは初めてだったので、面白かった。
ジョークを交えた牧師の説教とキリスト生誕の劇同時進行し、途中ではプロのソプラノ歌手の独唱もあり、とてもショー的だった。
しかめ面した神父が呪文のように聖書を読んでいたカトリックのミサとは大違いだった。

晩飯を食べに2人でチャイナタウンに行く。
食事中、最初はまだ何かわだかまりが残っていたが、だんだん打ち解けた会話が戻ってきた。
そして、途中でゲルマンは「今日1人で歩き回りながらずっと昨日のことを考えていたんだが」と昨日の話を戻してきた。
「自分が博士課程にいた頃は昨日のような議論は一度も起こらなかった。新鮮な意見を聞けて良かったよ」と言った。
こちらも構築主義や言説なんて単語は限られた分野の通貨であって、他の分野では流通してないことを知りよかった。
お互いの専門分野がいかに違う土台でできているか知り、例え立場が異なれど全てを吐き出したのは良かった。
相手を気遣って何も言わないよりかは、笑顔見せずに対立したままのほうが遥かにましだ。

チャイナタウンバスの乗り場まで見送り、最後の別れを言ったときにだけゲルマンは笑顔を見せた。

追記:一応クリスマスなんで自分にプレゼントした。


Mauss ”The Gift”
Lakeoff ”Don't Think of an Elephant”
Leach ”Claude LeviーStrauss”
Vincent "The Anthropology of Politics"

CD
Sum 41 ”All Killer No Filler"

等など、夢も希望もない商品を全部インターネットで購入。
「我が家には煙突がないのになぜサンタさんは来るんだろう」
と純粋に疑問に思っていた昔が信じられん。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-25 12:35 | 雑記

やっぱり

ゲルマンとは永遠に平行線をたどりながら議論することになった。
きっかけは「トルコがEUに加盟すべきかどうか?」という爆弾に触れてしまったこと。

「EUは政治・経済だけでなく文化の共同体でもある。したがって、その調和を乱すほど文化が違うトルコは受け入れられない。
じつはキリスト正教を信じる東ヨーロッパも加入させたくなかったが奴らは地理的にヨーロッパなのでまだ許してやる。」

ちなみに彼(37歳)のバックグラウンドを説明しておくと、ドイツのケルン大学でビジネスのPhDを取得し、
今はエディンバラ大学で助教授をしている。そしてドイツ・日本・アメリカ三国のエリート企業における人材資源運営を比較研究している。
究極のところ3国の違いは文化に基づいた国民性の違い、という結論に至ったらしい。

さて、反論として、
「たしかに諸々の条件でトルコが加盟すると既存のEU加盟国にとって不利益かもしれない。
しかし、国民=同じ文化を共有する、と簡単に結びつけ、文化という単語を使って排他主義を唱えるのは反対だ。
文化の違いとは現実に存在するとして考えるのではなく、国民性の差異を強調することで特をする人間が使う言説に過ぎない。」

もうこの後は書くのも面倒なほど議論がもつれた。
文化の定義は何だ?国民性とはいかに社会的に構築されたんだ?一体誰の利益にかなってそんな言説が唱えられるんだ?
お前は社会主義者でフーコーが好きなだけだろう?そういうお前こそ偏狭な愛国主義者じゃないか。

などなど、3時間ほど大声で議論していた。
いつもは対立するロシア人のルームメイトもこのときばかりはこちらに加勢して
2:1でゲルマンと戦っていた。もうこっちは人類学の本(Gellnerの”Nations and Nationalism”や
ドイツ人の知的階級がいかに他国との劣等感を感じて芸術や言語や宗教などの”理性とは対立するもの”に文化を見出そうとしたか、
を説明したKuperの”Culture”)などを引用して、議論するまでになった。
お互い全く引かなかったので、結局風邪気味の彼が眠りたいと言い出したところで修了。

まったく、こうなるとは彼が来る前から予測できたんですよ。
まあ楽しいので悪くはないんだが。
でもこんなクリスマスの過ごし方ってどうよ?

明日はゲルマンと一緒にボストンの教会でクリスマスソング聴いてきます。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-24 16:58 | 雑記

Gray Zone

何か問題が起こると良い者/悪い者という対立絵図につい当てはめてしまわないだろうか?
大抵の場合、そんな単純に物事を割り切れることはできない。しかし、認識の段階ではどうしても単純化されてしまう。

プリモ・レビというアウシュビッツの生存者が書いた告白録(英題:The Drowned and the Saved)
にはそんな被害者/加害者という対立関係が当てはまらない「灰色の場所」について書いてある。
機械的にユダヤ人が殺されていた中、彼は生き延びることができた。それはガス室の死体処理班を担当していたからだ。
アウシュビッツの収容数が最大限になった終戦間際、およそ2000人のユダヤ人がドイツ軍の管理下で運営作業に携わっていた。
彼らは同胞の大量虐殺に加担することでしか生き延びることができなかった。

敵とはいうのは他者ではなく常に仲間の中にいる。
なんとかして長く生き延びるためには敵に気にいられるしかない。
従って、抑圧が増せば増すほど、敵と協力しようとする動機が沸いてくる。
ファシズムが生み出した全体主義の構造は、このように被抑圧者が
抑圧者側に加担したいと下から望んだことにより、いくらでも再生産することができた。

レビ曰く、ドイツ兵よりもユダヤ人の監視役のほうが残虐・暴力的だったそうだ。
それは、もし手ぬるく他の同胞を扱うとドイツ兵に疑われて殺される可能性があったからだ。
レビ自身も、たとえ直接暴力に加担せずとも、いかに手際よくガス室の死体の山を処理するかに命がかかっていた。

彼が一番辛かったこととして語るエピソード。
いつもと同じようにガス室の死体を外に運んでいると
16歳くらいの女の子が1人だけ生き延びていたのだ。処理班全員が混乱に陥る。
「死んでなければいけない人間が生きているせいで、我々が殺されるかもしれない」
しかし、誰もその少女を殺すことができず、結局、医療室に連れて行く。
そこでドイツ兵が少女を発見し、皆の前で撃ち殺す。
そのときレビは安堵の溜息を漏らしたそうだ。

アウシュビッツが解放された後、じつは多くの生存者が自殺した。
収容されていたときは生きていくのが精一杯で誰も自殺なんて考えようとしなかった。
しかし、解放された生存者は罪の意識のせいで鬱に陥り、自殺をする者が絶えなかった。
レビは「生存者は決してアウシュビッツの真実を語ることができない」と言っている。
「それは、真実を語ることができる人間はすでに死んでしまったからだ。良き人間だけが殺され、悪人だけが生き延びた」
と締めくくっている。

たしかにアウシュビッツは特殊な環境だったかもしれないが、「灰色の場所」はどこにでもあるんじゃないだろうか?
それはただ気付いてないだけ、もしくは気付いていると認めたくないだけなんじゃないだろうか?
権力関係があるとこには必ず暴力が存在するのだから。

追記:
今日はとても暖かった。たとえ気温が7度でも-14度から
一気に20度も上昇したのだから体感温度はとっても暖かかった。
エスキモーの人達はカマクラの中に入ると服を脱ぐそうなんだが、
-50度の極寒から0度の室内に入れればそりゃ暑いはな、と今日納得した。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-23 15:24 | 文化人類学

精神衛生

「世界の不幸を祝うためにクリスマスに闇鍋しない?」

とギロついた目でFは言った。1ヵ月ぶりに会った彼はすっかり変わっていた。
図書館で勉強している合間にダンキンドーナッツに行くと、Fが難しい顔をしながら虚空を眺めていた。
彼のテーブルに同席すると理解不能な数式がびっしり書かれていたノートがあった。
文系人間には、彼の秀才ぶりがさっぱりわかない。おそらく自分には想像できない抽象的思考が可能な人間なんだろう。

Fは東大出身の同学年の友人。年齢も同じ。
英語研修を一緒に受けていたので仲が良くなり、キャンパスで会っても必ず立ち話をする。
FはPhD2年目にして論文を出版しようとする野心家で、話をするたびに刺激を受けていた。
会話英語はいまいちなんだが、最も抽象度の高い経済理論なので数学さえできればなんとかなるそうだ。

しかし、今日の彼は明らかに鬱に入っていた。
まだ本人も鬱だと自覚しているのでそこまでひどくはない。
話を聞くとやはり遠距離中の彼女と別れたそうだ。それだけならいいのだが、
別れた彼女から不気味なメールや電話がかかって来てどうにもならないらしい。
その上学科内でも孤立気味で、友人関係も上手くいってないようだ。
目つき、挙動、言動の全てが昔と変わっていて思考もネガティブになっていた。

しかし、彼と話していて痛いほど気持ちがわかった。
ここの大学院に来てからは常に綱渡りをしているような心境だ。
もし失恋などの大風に吹かれたらすぐに奈落に落ちて行くと思う。
だから「勉強ばっかりできて羨ましいね」などと言われたときには
たとえ相手に悪意は無くても、心の底から腹立たしくなるときがある。

今年はだいぶ楽になったが、去年1年は自分もかなり不安定な状態だった。
爪を噛む癖があるので、右手の親指の爪が3分の1削られた。血が出ても噛み続けていた。
会話はどもり、論理的じゃなくなり、不眠症が続き、タバコの吸いすぎで肺がパンクしそうだった。

「結果的には時間が解決してくれるもので、鬱は焦っても仕方がない、と思う。
あと、恥なんて思わずに大学のカウンセラーを利用してみるのも悪くないんじゃない?」
と、アドバイスをしておいた。できれば闇鍋に参加したかったのだが、クリスマスは他に先約があって無理だ。
新しく彼女ができれば事も上手く進むと思うんだけれども。(どなたか憂鬱気味の秀才が好みでしたらご連絡下さい。)

とにかく、彼の才能が学問とは何も関係ないことで台無しにされないよう祈るばかりだ。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-20 15:15 | 雑記

へりくだった高み

カミュの『転落』について。

ある落ちぶれた男がバーで過去を語る。
彼は裁判官だった。そして裁判官として道徳を判断する最高権威を持っていた。
それなのに自分のことを「改悛した判事」と呼ぶ。

一体何を改悛したのか?

彼はある晩、悲劇に遭遇した。
1人の女性が運河に飛び込み自殺をする現場を目撃する。
「ひょっとして自分が助けに行けば女性も思い直すかもしれない。」
「いや、助けたところで彼女はもう一度自殺を繰り返すかもしれない。」
彼は迷う。しかし最終的に見て見ぬふりをした。もちろん女性は死亡した。

この日以来、彼は裁判官を辞めてしまった。
というのも「他人の道徳を判断できる権利は誰にもない」という結論に達したからだ。
改悛したというのは、そのような自分の驕りに気付き放棄した、という意味だ。

しかし、彼は本当に改悛したのだろうか?

「他人の道徳を判断できる権利は誰にもない」と判事が言ったとき、聞き手は納得する。
そこで判事は逆に改悛した自分を褒め称える。
「それ見てください、改悛した私の言ったことは正しかったでしょ。ね?
だからあなたも改悛しなさいよ。ね?わかりましたか?ね?」という具合に。
結局はへりくだったからこそ得れた高みに酔いしれていただけで、何も改悛なんてしてなかったのだ。

もし自分が文化人類学の授業を受け持ったらこの本を課題にしたいな、と思った。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-19 07:00 | 文化人類学

恐ろしや

Exciteのブログページで「文化人類学」と入れて検索してみた。
ヒット数はおよそ30。ほとんどが文化人類学を専攻している人のサイトだった。
1つ1つ読んでいたのだが、感想は「病んどるなぁ」だった。
以外にも自分のように海外の大学・大学院で学んでいる方が多くて吃驚。
しかし、別に文化人類学をやっているからって社会に適応できなくなったり、
結婚できなくなったり、貧乏で死んでしまうはずは無いとは思うんですけどねぇ。
もっと楽しく明るく健やかに文化人類学しませんか?と書き込みたくて仕方なかった。

さて、一番最後に出たブログで驚いたことがあった。
そこにはとある文化人類学者の講演に行ったときの話が載っていた。

『今日はLSEのMoore教授の講演に行ってきた』
、、、ぬ、どこかで聞いた名前。
『講演の後、人類学部のクレイマン教授が質問をした。』
ええ、クレイマンって俺今授業取ってるんですけど?
『その質問をMoore教授はジョークで切り返し、会場は拍手喝さいだった。』
って俺もそこで笑って拍手してましたよ!!

偶然にも先週の月曜日に行った講演にこのブログの持ち主の女性も来ていたようだ。
どうやらうちの大学に客員研究で来ている旦那さんと一緒に文化人類学を学んでいるらしい。
他の日の日記を読んでみると、日本では非常勤としてどこかの大学で教鞭を取り、
ハーバードに滞在している間に博士論文を仕上げたい、と書いてあった。
講演会場を思い出しても全然誰だか見当がつかないんだけれども、
もしこの方とお会いできる機会があればお話してみたいもんだ。

しかし、ちょっと寒気がした。
ひょっとすると、自分では気付いていなくても
身近にいる誰かがこのブログを読んで自分を観察しているのかもしれない。
これからは下ネタを控えたほうがいいな。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-18 11:26 | 雑記

Japan as No.1 だったかも?

b0017036_1442739.gif「日本は世界一だ!アメリカは日本に見習うべきだ!」
なんて、もしハーバードの教授が言えば日本人はそりゃ喜ぶよな。
日本が高度経済成長を成し遂げ、敗戦コンプレックスから脱却し始めたとき、
「Japan as No.1: Lessons for America」という本が出版された。
1979年、ハーバード社会学部のエズラ・ボーゲル教授が執筆したその本は日本で大売れした。
ボーゲル教授は3年前に退官されたが、名誉教授となった今でも活発に研究を続けておられる。

今日は彼の講演に行って来た。
タイトルは「Japan as No1を売り歩いた男の追憶」。
日本語版が出版されたときの裏話でとても面白かった。
宣伝のために日本に訪れたとき、各新聞社のインタビューを受けていると、
その中に池田大作がいてなぜか創価学会の聖教新聞にも載せられてしまったそうだ。

そして、本が売れ始めると大企業の社長から食事の誘いが絶えなかったらしい。
その中の1人が松下幸之助。すでに末期ガンだったので入院先の病院にて面会したのだが、
「うちの会社を見習ってアメリカを建て直したいとは、なんて愛国主義な人間なんだ」と諭されたそうだ。

この本は日米だけでなく、アジアの他の急進新興国でも売れるようになった。
そのせいで韓国の官僚に「Korea as No.2という本を書いてくれ」と頼まれたそうだ。
シンガポールではリー・クワンユー首相に食事に呼ばれ、日本のシステムを輸入する方法について講義させらた。

ただ、ボーゲル教授曰く、「誰もがJapan as No.1をJapan is No.1と勘違いしていたのが悲しかった」そうだ。
産官提携の強さ、商品の質の高さ、公共教育の水準の高さ、治安の良さ、など個別に見ると世界に類を見ない秀でた点があるが、
国力がNo.1だと勘違いして、政界や財界のエリートが日本を誇示する道具としてその本を使っていた点を嘆いていた。
そして、90年以降の不況で日本が失墜してからは「嘘つき」呼ばわれされたそうだ。
学者からは昨日書いた「日本人論」の1つとしてこの本がやり玉に上げられることも多い。

講演の後半は中国・日本を比較して「Chaina as No.1」になる日が来る可能性について言及していた。
労働欲の高さや学識の高さ、また多国籍企業の受け入れ方などは日本を上回っているかもしれないが、
まだまだ政治形態の不透明さや情報産業の遅れという不安材料があるのでその日は来ないと語っておられた。
そして、頼まれても「~AS No.1」というタイトルではもう本を書かないそうだ。ちょっと笑えた。

柔和なボーゲル教授を慕って日本の政治家が今でも訪れてくるそうだ(菅直人とかね)。
個人的に最も驚いたのは、彼がハーバードの院生だったころ、タルコット・パーソンズに学んで先輩にクリフォード・ギアツがいたことだ。
当時は社会学・文化人類学・心理学が統合してSocial Relationsという1つの学部だった。
今では敵対し合う分野が統合されていたからこそ、柔軟で優秀な学者が生まれたのかも、と思った。
後輩としてはとても荷が重い、、、。

「カッテナコトバカリイッテスイマセンデシタネ」
と日本語で閉めて、ボーゲル教授は講演会を終えた。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-17 14:31 | 文化人類学