<   2004年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

最高のフィナーレ


京都では大文字焼きと言って、お盆になると市内にある8つの山に様々な文字を松明で描いてご先祖様を送るという儀式がある。そのうち最も北にあるのが「法」の文字の山だ。我が家から自転車で十分ほど。今日は「法」の中にあるカタカナの「ム」のかどっこの部分に行ってきた。これは地元民にしか知らない穴場である。

6時に山の麓で友達と待ち合わせた。急勾配な山を登ることおよそ十分、「法」の字が刻まれている斜面に辿りついた。そこには水タンクがあり、その上に登ると市内を一望することができる。

夕もやのかなたに京都タワーが見え、瓦屋根はオレンジ一色に染まっていた。蒸し暑いなか山を登ってきたので喉はカラカラだった。競うように二人でビールのふたを開け、「ほな、京都に乾杯!」と叫んで一気に飲んだ。ヒグラシの鳴き声がうるさいのにゴク、ゴクという喉元を通る音だけははっきりと聞こえる。プッハーと同時に飲み干すと、鳥の群れがくの字になって頭上を飛んでいった。この人生で5本の指に入るビールの美味さだった。

汗をかいたせいで酔いが回るのが早かった。

「罰当たるかなー?」と言いながら「法」の中にある「十」の交差点で立ち小便をした。「明日になったらポコ○ン腫れとるぞ」と友達は注意するのだが、彼も「小便ならサンズイやろ?」と言いながら「法」の一番上の点の部分まで行って豪快に立ち小便をした。

そして、「ご先祖はんすんませーん」と言いながら2杯目のビールを開けた。明日、ポコ○ンが腫れてないことを祈るばかりだ。

周りが暗くなるころにはすでに4本目を空けていた。さすがに暗闇の中を千鳥足で下っていくのは危ないので8時頃には山を降りた。

しかし、まだ飲み足りなかった。二人とも財布の中には千円札が一枚しかなかったので、「可愛い子がむっちゃおるバーが近所にあるから来いや」と言ってサラリーマンをやっている別の友達を誘いだした。そして、以前に一人で行ったバーへ向かった。

案の定、可愛い子なぞ一人もいなかった。でも今回はレーサーの代わりにおっさんのジャズバンドが演奏していた。リーダーである50歳くらいのピアニストが「わしらが京都のジャズ界をひっぱってってるんですわ」と、酔っ払いながらMCでしゃべっていた。そして池乃めだかがやる猫の物まね(吉本新喜劇を知らない人は理解できないでしょうが)をしながらピアノを弾いていた。ジョークなのか本当に上手いのかまったく判断できなかったが、おそらくこの人も爪を隠した鷹だと思う。こういう人が好きだ。

「出世払いでよろぴく」と言って、サラリーマンの友達に勘定を済ませてもらい11時には店を出た。そして各々の家へ戻っていった。

もう京都で思い残すことはないほど遊んだ。これで来年の夏まで大学院という巣窟に篭ることができる。

明日、祇園祭の鉾を一通りみたあと午後には新幹線で東京に戻る。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2004-07-17 15:18 | 雑記

遊びは激しく

大学院生だったことを忘れるくらい過密スケジュールで遊んでしまった。

昨日は朝から宝塚を見にいった。ジェニファ・ロバートソンというミシガン大学の人類学者が宝塚劇場のホモエロティズムついて書いているので、読む前に是非一度見に行こう、とアメリカにいたときから思っていた。太ってしまった今からでは想像できないが、母方の叔母が昔宝塚ジェンヌだったので、急にもかかわらず、前から15列目のいい席を取ってもらった。内容については書きたいことがありすぎるのでまたの機会に書いてみる。劇が終わったあとは隣にある手塚治虫記念館へ行った。これまた見ごたえがあるので宝塚に行かれる方は是非ついでに足を運んでもらいたい。

夕方からは大阪に住んでいる友達が開いてくれた合コンへ出向く。ピアノ教師をやっているという女の人が2人来た。今まで東京で参加してきた合コンはいい思い出がなかったけど、大阪の子のノリは違うので良かった。飲みだす前から親友のような気分になれる。しかも男が会話をリードするのが当たり前の東京とは異なり、落ちをつけたネタを女の子が連発してくれる。まあ、ようはダイスケ・ハナコな形になるってことだ。

終電がなくなったので友達の家に泊まりにいった。デューク大学で環境経済学の修士号を取った彼とアメリカの大学院について話をしているうちに、経済学と人類学の弱みをつつきあうことになってしまった。埒があかないのでプレステのサッカーゲームで勝負をつけることに。負けるたびに「今のは練習試合」と大人げのないことを言い張り、繰り返してるうちに朝の5時になってしまった。9時出勤の彼にはとても申し訳なかった。

朝から実家に戻ろうとするが、京都駅に着くと天橋立行きの特急列車が1分後に出発するというアナウンスが流れた。ここで瞬時にその列車に乗り込むことを決め、ホームまで全力疾走。汽笛が鳴っているときに滑り込んだ。車内で券を買うと特急料金が高すぎて少し後悔した。京都中部のひなびた山村を眺めてるうちに眠り込んでしまった。

天橋立に来るのは小学校の野球合宿以来だった。日本三景に選ばれているこの場所は松林の続く白浜が一本の道になって湾を防ぐ形になっている。駅前でレンタル自転車を借り、さっそく横断してみた。

昔の記憶はほとんどなかったのだが、おぼろげにすいか割りをした場所などが蘇ってきた。そして、よく松が連なる白浜を歩く夢を見るのだが、その景色がここで見た記憶が元になっていたのだ、と納得した。なくした物が出てきたようないい気分だった。

湾の反対側に着くと、たこ焼きとビールと茣蓙を買って引き返した。そして誰もいない浜辺に行ってパンツ一丁になり、青い日本海を眺めてビールを飲んだ。もう海を見てるだけじゃもの足りなくなったので、誰もいないことを確認してパンツを脱いで海に入った。沖に行って水死体のようにプカプカ浮いてみた。これが素っ裸なぶんだけ気持がいい。

「今年一番の海水浴を日本三景で(しかも全裸で)できるなんて今年はいいことになりそうだ」と思いながら、浜の方に戻ってみると、ある老夫婦が座っていた。出るにも出れないので困っていたが、さすがは老夫婦、暑さに負けて10分ほどで松林のほうへ消えていった。すかさずパンツを履いたのち、茣蓙の上で寝転んだ。真夏の太陽のまぶしさなぞ関係なく眠りに落ちた。

焼けるような皮膚の痛みで起きるとすでに3時半だった。4時半の電車にはまだ時間があったので駅前にある温泉へ行って汗を流すことにした。天橋立を一望できる露天風呂は、残念ながらその日は女湯限定だった。しかし、大きな甕の中に水を入れた奇妙な風呂が男湯の庭にもあったので、ずっとその中に浸かって焼ける肌を冷やしていた。空には鳶が舞い、日は少し弱まっていた。「あー極楽」、と水風呂に入りながら呟いてしまったのは生まれて初めてだと思う。

帰る途中、福知山という駅で電車を乗り換えなければいけなかった。そこはリンクにも張ってある友人Aの故郷だ。明智光秀が建てたという福知山城以外にはあまり特筆すべき点がない、いたって平凡な町に見えた。こんな平凡な町で育ったのに、なぜ彼があんな非凡な写真を取れる感性を見につけたのか不思議に思えた。

6時半に京都駅に着くと急いで木屋町御池のライブハウスに向かった。母親の知り合いの娘さんが、ボストンにあるバークレー音楽大学に今年から留学することになったので、先週会って話をした。昼飯をご馳走してあげた代わりに、彼女が出演するライブのチケットを頂いていたのだ。

3バンド出演していて、彼女のバンドは最後だった。てっきりジャズバンドだと思っていたら大違い。ホーン5名、その他5名のギャグ系ファンクバンドだった。なぜギャグ系かと言うと、
アルトサックスの人が妹から借りたセーラー服を着ていたりなど、皆ありえない格好をしていたからだ。彼女も恥ずかしそうに「がり勉めがね」をつけてペットを吹いていた。しかし、演奏が始まると度肝を抜かれた。皆見た目からは想像できない上手さであっけに取られてしまった。能ある鷹って本当に爪を隠すものだ。

彼女に礼を言って帰宅するともう夜の11時。寝る寸前だった父親にこの二日間の話をした。すると「お前は学者にはむいてないのかもなぁ」とギクリとするようなことを言われた。「これは休みの間だけの仮の姿なんや」と説得しても全く聞いてくれなかった。まあ、家に帰るたびに飲んだくれてるのだから仕方が無い。

東京に戻るまで後2日。後ろ髪引かれまくっている。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2004-07-14 15:13 | 雑記

帰省

前回日記を書いてから毎晩浴びるようにビールを飲んでたので、書きっ放しのまま放置プレイにしてしまった。ビールと一緒に何を書こうとしてたのかも忘れてしまったため、また思い出し次第、続きを書くことにする。

さて、京都に戻り今日で3日目。
実家ですばらしく自堕落な生活を送っている。
じつはまだ両親と顔を合わせていない。連絡もせず突然帰省したのもあるのだが、毎晩遅くまで友達と飲み、夜中に帰って昼頃起きているため、朝早く仕事に出る両親と出くわすタイミングがない。
まったくもって親不孝な息子だ。

一昨日は昼に帰ってくるや否や自転車で市街まで出かけた。

鯖街道と言って、若狭湾から平安京まで鯖を運ぶのに昔から使われていた旧道があり、北部にある我が家から鴨川沿いに市街へ簡単に下ることができる。町屋のある界隈を自転車でとおり抜けるとソーメンのつゆと線香の香りが充満していた。京都の夏に自分がいることを実感した。

鴨川を一望できる三条大橋横のスタバで友人2人と落ち合い、近くにビール一杯200円の居酒屋を発見したので店をつぶす勢いで飲みまくった。それぞれ8,9杯は飲んだ後、ラーメン屋に梯子。そして、いつものように鴨川の河原に出かけ、腰を据えて淡々と話をした。飲んでるときよりも鴨川にいるときのほうが正直かつ深い話ができるのが不思議だ。鴨川の魔力なんだろうか。

京都は北高南低なので、自転車で我が家に帰るのはなかなか苦しい。地下鉄の駅で言うと7駅分の距離なのだが、鴨川沿いの散歩道をひたすらこいだ。帰宅した頃には酔いのせいで頭が割れるように痛かった。しばらく酒は抜こうと決心。

しかし、だ。

昨日は昼に犬の散歩をしたら、むしょうにビールが飲みたくなったので、別の友達を誘い出しまた三条で飲んできた。そして、鴨川で語ったのち同じように帰宅の途へ。頭が痛かった。

夏に実家に帰ると

昼に起床→犬の散歩→夕方は市街で飲む→鴨川で語る→夜中に自転車で帰宅

のパターンを繰り返してしまう。
いったい何度鴨川を往復することになるのやら。

でもこのパターンがたまらなく幸せでもある。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2004-07-07 15:20 | 雑記

望郷

急に京都が恋しくなったので来週実家に帰ることにした。

と言うのも、この前母親に電話したらその後ろから我が家の犬(ボクサー)の鳴き声が聞こえてきた。長年犬を飼っていると鳴き声で何を伝えたいのか大体わかるようになる。その声は明らかに「散歩に連れてけ」とねだっていた。そして、「あいつを鴨川で泳がせねば」という変な使命感が沸いてきた。

これは勝手な思い込みかもしれないが、京都人のアイデンティティーの中核にあるのは寺社仏閣ではなく鴨川だ。南北に流れる鴨川はどこに住んでてもアクセスがいい。そして、その川辺が多目的に使える。

ちなみに時代別に鴨川の使い道を述べると、

(1)小学校時代
もっぱら犬の散歩。当時飼っていたシェパードが馬鹿だったので、川面に石を放ると泳いで取りにいった。効率よく疲れさせることができるので丁度良かった。

(2)中学時代
花火バトル。これは野球部の連中とやっていたスリル満点な遊び。2チームに別れて、両岸に自転車でバリケードを作り、ロケット花火をお互いに打ちまくる。なかには手持ちの打ち上げ花火を持って川を渡ってくるつわものもがおり、一斉砲火の的になった。たまに対岸に座っているカップルめがけてロケット花火を打ったりもした。誰も怪我しなかったのが不思議でしかたない。

(3)高校時代
語りの場。京都の高校生には安く遊べるところがないので、鴨川でだべるかボーリングぐらいしか娯楽がない。でも祇園祭りの帰りに女の子と提灯花火をしてしっぽりしたり、朝までひたすら語ったりと健全な夜遊びができた。

(4)大学時代
川沿いのカフェやバーで一服。さすがに大学生にもなると小銭が出てくるので、帰省するたびに昔の友人と鴨川が眺望できるバーやオープンカフェに行く。特に夕暮れ時に川面が赤色に染まっていくときが最高。ちなみにお勧めのカフェは出町柳にあるBon Bon Cafe。

と、まあ京都市民なら鴨川とともに娯楽を過ごした人が多いはずだ。
寺巡りなんて京都に住んでる限り誰もしないんじゃないだろうか(ちなみに自分は高校3年になるまで金閣寺がどこにあるのか知らなかった)。東京も隅田川や神田川を鴨川みたいに情緒あるよう改良してくれればなぁ、と石原知事の顔を見るたびに思う。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2004-07-01 15:23 | 雑記