存在意義について

シベリア強制収容所で日本人に対して行われた拷問。

ある日警吏がシャベルを1つ持って日本兵5人が拘留されている牢屋にやってきた。
そのうち1人を選び中庭に連れて行く。そしてシャベルを手渡し、
ただ「穴を掘れ」とだけ命令する。それ以外は何も命令しない。
日が傾き始めた頃には5人は入れるような深い穴ができあがった。
「ひょっとして他の4人を連れてきてこの穴の中で殺されるのでは?」と疲れ切った日本兵は不安になり出した。
しかし、警吏が次に発した命令はその穴を埋めろ、というものだった。
安堵とともにはりきって砂山を穴の中に戻していく。
そして一日の労働が終了。

次の日も同じ警吏が来て同じ日本兵に同じ命令を下した。
そして、それが1週間、1ヶ月と続くようになった。
最初のうちは穴を掘るたびに殺される不安に怯えていた。
しかし、日が経つにつれ、その作業を続ける限りは生かされることに気付き始めた。

それからが拷問の始まりだった。
ただ同じ場所で穴を掘り埋めていく。
何の意味も無い労働の繰り返し。
何の意味も無い疲労の蓄積。
生かされる苦しみ。
発狂するまで3ヶ月かからなかったそうだ。
そして次の日本兵を指名し同じ作業を繰り返させる、、、、、。

人間とは逆境に追い込まれたときに限って生きる意味を作り出そうとする。
しかし、苦しんでいる最中に、生きるための手段が何の目的も生まないと気付いたときこそ
奈落に落ちていくんじゃないだろうか?

問題は、上に述べた日本兵と我々に一体どれだけの違いがあるか、だ。
意味の無い生産を同じくらい意味の無い消費で紛らわしてはいないだろうか?
充実と多忙を混同してないだろうか?

薄氷の存在意義の上に重い片足がのっかかってはいまいか?
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by fumiwakamatsu | 2004-10-29 10:07 | 文化人類学
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