便所の落書きについて

先日、バークリーの院生と話をしていた。彼の友人で同校キャンパス内にある
公衆便所をくまなく回り、ドアに書かれている落書きについて解釈学的研究を
した院生がいるという。面白いのは、ただ性的で卑猥な落書きだけでなく、
マイノリティーを擁護するリベラルな学風としられている同校なのに、マイノリティ―に
対する誹謗中傷、そして、マイノリティー側の生徒からの同じように過激な反論でドアが
びっしり埋まった落書きが多かったと言う。その研究者の結論は、「政治的正しさ」が
規範となり、「政治的に正しくない」とされる言明が公に出来る場が少なくなったので、
そのはけ口として、匿名性が守られる便所という半公半私な場で「政治的に正しくない」
言明が突出して現れるようになった、だそうだ。

結論の良し悪しはさておき、母校の学部でも同じように便所の落書きが問題化
されたことがある。うちの学部は海外からの留学生と日本人の学生が同様に英語で
授業を受け、文部省から「国際的特色のある学部」として表彰されたこともある。しかし、
大便をしに便所の中に入ると、いかにその「国際性」というのが見せかけかが
わかるえげつない落書きでドアが埋められていた。日本人対外国人という図式だけ
でなく、留学生内での人種差別を露骨に表した落書きもあった。書かれた筆跡から
見る限り、誹謗の応酬はおそらく特定の人物だけが参加しているのでなく、普通に
大便をしに来た生徒が読んでいるうちに怒りがこみ上げ、連鎖的に書き込みを加えて
いったのだろう。学校側が何度もペンキで上塗りしてもいたちごっこで終わらなかった。

ネット上の掲示板にせよ、便所の落書きにせよ、匿名性を保つことのできる公の場という
のは面白い。どれだけ平等・公平を普遍的な価値として教育現場で植え付けようとしても、
匿名性だけ守られれば根っこにある差別的な見方などいくらでも露出してくるものなの
だろう。このような嫌らしい露出が「公の場での政治的に正しい発言をしなければならない」
という基準化が進み、その反発として出て来ているのかどうかは抜きにして、教育や
社会運動によって推進された平等観などは表層的な部分にしか浸透できない、という事実を
素直に認めさせてくれるのがこれらの場所だと思う。願わくば、ただ書き込まれた言説だけを
分析するのではなく、落書きをする人々を実際にインタビューするような研究が出て来て欲しい。
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by fumiwakamatsu | 2007-05-13 23:57 | 文化人類学
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