くま

先日、サンフランシスコに在住するゲイのアルゼンチン人研究者と話をしていた。どうやらアメ
リカのゲイの方々の間ではvanillaとbearという区分があるそうだ。前者は、華奢で顔のお手
入れも入念にする、いわば美形の男。後者は、逆に太っちょで特に容姿は気にせず体格の大き
い男のことを言うらしい。

その研究者曰く、bearというカテゴリーが出て来たのは、vanillaが白人中流階級の容姿至上
主義に偏っているのに反発し、容姿にこだわらず、ありのままの姿でも同性愛が受け入れられ
るよう推進した結果だそうだ。ゲイの世界でも美の基準化が浸透し、身体的に美しくないとさ
れる者を排除するような抑圧システムがあり、排除された者の経験がbearという言葉を生ん
だ、と力説していた。

話は変わるのだが、新宿御苑である家族のお花見に参加していたとき、横に一風変わった集
団がお花見をしていた。およそ40人くらいの男達で、誰もが、かっぷくが良く、短髪・無精髭を
生やし、少し肌寒いにも関わらず半袖を着ていた。最初は大学のラグビー部のお花見かと
思って眺めていた。しかし、何やら相撲を取ったり、お互いの服の下に手を入れたり、上半身
裸になったりしていたので、ようやく、「ああ、そうか、2丁目も近所だしな」と納得した。

たしか日本語でも「くま」というカテゴリーがあると聞いたことがある。そこにいた人達は、「くま」
というカテゴリーに当てはまるのかもしれないが、驚いたのはあまりにも彼らの容姿が均質化さ
れていることだった。太っちょなのだが、それはお相撲さんのように筋肉の上に脂肪がのった
ような太さであり、おそらく皆ジムに行っているんだろう。もちろん格好もお洒落だった。今、そ
ちらの世界で流行っているらしい「どんだけ〜!」という言葉をつい言ってしまいそうになるほど
だった。

彼らの均質さを見ていると、アメリカでは反権力的運動として出てきたbearというカテゴリーが
日本では逆になってるんじゃないか、と思えた。日本で「くま」というカテゴリーがどう歴史的に
使われてきたか知らないけれども、彼らの「太っちょでわんぱく」的な美の基準が、そうでない
他のゲイの方々を逆に排除・異質化するようになってないんだろうか、と思えたのである。ま
あ、たまたまそこに居合わせたのが「くま」の方々の同好会だったのかもしれないけど。

ところで先述の研究者は自称bearなのだが、さんざんbearとしての誇りを語ってくれた後、
「でも日本人の男って皆華奢でキュートだよね」と言っていた。お前、プライド持てよ。
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by fumiwakamatsu | 2007-04-04 00:54 | 文化人類学
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