結婚式なのに

去年、学部同期の女の子Nの結婚式があった。
同期の皆でレンタカーを借り、ニューヨークまでドライブ。
勉強から解放されて、和気あいあいと楽しんでいた。

宿泊先のホテルに着いてから式が始まるまで1時間ほどの暇があった。
何でそんな話になったのかわからないのだけれど、男部屋の中では「自爆
テロはなぜ自ら命を断ってまでして敵を襲うのか」という議論が始まった。

イスラムのインドネシア人Dは、自殺という行為はイスラム教の教えから
すると、最も罪深いはずなのに何故命を断ってまでテロを起こすのか
わからない、と問う。すると、エジプト系アメリカ人のAは、歴史的に
考えると、銃器がなく刀器を使ってテロを起こしていた時代ならば、
テロという行為は必然的に自殺を伴っていたのであり、武器の殺傷力の
向上とメディアによってテロの現場が可視化されたことで、あたかも
自爆テロが非合理的な行為として現在では捉えられるようになったの
ではないか、と言う。そこで、自分も、戦時中の特攻隊を例に出し、
自爆テロというのは個人の意志ではなく、組織的な行動の一部であり、
最小限の犠牲で最大限の心理的インパクトを与える戦略として実行
されているに過ぎないんだろう、と言う。

その後、議論は自殺テロは個人の意志なのか組織的な企みなのか、
という点で延々と続き、気付けば結婚式の時間だった。式場までの移動中に
同期の女の子が「一体何を話していたの?」と聞かれたので答えると、
「はぁ〜、まったく男ってこれだからロマンスもあったもんじゃないわね」と
呆れられる。

Nの結婚式は非宗教的な儀式だった。会場はワインを作るブドウの果樹園
だったのだが、神父の格好をした男性が式を取り持ち、神への誓いの代わりに
「大地によって育まれたこの葡萄酒を飲み干すことによって、大地に向かい、
結婚の誓いをたてなさい」という神が大地に置き換えれた儀式だった。そこで
また男性陣は、「あの儀式は宗教的ではないと言い切れるのか」という点を、
披露宴のテーブルで議論し始めることになった。シンボル自体は宗教的では
ないが、あれこそ「宗教とは社会が社会自体を崇拝するもの」というデュルケームの
テーゼを如実に体現したものではないか、ただ神聖性のベールが剥がれた
だけなのではないか、などと話をしていた。

こんな感じで、たとえ結婚式であっても人類学の色眼鏡が取れない連中だった。
それでもその後は皆で酒を飲んでダンスを踊り、心底楽しんだ1日だった。
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by fumiwakamatsu | 2007-03-22 00:32 | 文化人類学
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