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Post Modern Christian: Love Your Enemy (except post modernists)

去年、1年間、とある事情でプロテスタント系の教会に行っていた。
行きたくて行っていたのではないが、とりあえず行っていた。もちろん
教義自体は最後まで何の関心も持てなかった。しかし、今から考えると、
これまで全く関わったことのない世界を垣間見れたのは良かったと思う。

その教会はハーバードとMITの丁度真ん中にある小規模な教会だった。
当時の神父さんが韓国系アメリカ人だったせいか、信者の方々はアジア系が
大半を占める。地理的な場所が示すように、その多くが高い教育を受け、
エネルギーに満ちた若者だった。毎週のように、信者の方々が行う慈善事業や、
宣教活動が神父の説教が始まる前に紹介されていた。

さて、知り合いも増えてくるうちに、1つのネガティブな言葉が良く出て来るのに
気付いた。それは「ポストモダニスト」。たとえアメリカでも普段の会話ではそう出て
来る単語ではない。やはり教養の高い信者さんが多いせいか、そんな単語が容易に
出て来るのだろう。個人的には一体誰がポストモダニストなのか定義出来たものでは
ないが(定義するという行為自体がポストモダンではないと思うが)、どうやら信者の
方々からすれば普遍性、真理、原理、そして、おそらくそれらの言葉に象徴される
神の存在を否定する人々のようだ。「無神論者」ではなく「ポストモダニスト」という
言葉を多用していたのが興味深かった。

ある友人に誘われて見習いの若い神父さんの家で夕食に招かれたことがあった。
白人の彼は、ある大学の神学部の博士課程に所属し、大学と教会を又にかけ、
さらには2児の父でもあった。お互い院生ということもあり、話が少し学問的になる。
そこで彼は最近の神学部でのトレンドに対して溜め息混じりにこう語る。

「どうやら周りは皆ポストモダニストのようで、些細な物事の研究ばかりしている。
大きなスケールで物事を考えて、自分の研究がどう社会に役立つか考えようと
しない。そういや人類学でもギアツなんかはポストモダニストじゃないの?」

ギアツがポストモダニストなんて初めて聞いたけど、どうやら彼の知識では上の
定義に当てはまる人類学者のようだった。その後も、別に学問の文脈だけでなく、
何度か否定的に「ポストモダニスト」という言葉が出て来た。

宴もたけなわになって来た頃、一緒に来ていた友人が「今の教会の信者の人達に
とって必要なことは何ですか?」という質問を彼に投げかけた。当時はその教会が
少し危機を迎えていたので聞いた質問なのだが、彼の答えは「僕は皆にただ単純に
お互いを愛するようになって欲しい」と答えていた。普遍的な隣人愛を態度で示す
ようにという意味合いなのだろう。その答えを聞いたときに「もし教会の中に
ポストモダニストがいれば、その人を愛することができますか?」という質問を投げかけ
ようかと思ったが、客人として場の雰囲気を壊すのも嫌なので止めておいた。

「普遍的な」言明から内在した矛盾が起るというのがポストモダン的現象の1つで
あるとすれば、彼は非常にポストモダン的だと関心したのを覚えている。
by fumiwakamatsu | 2007-03-14 00:36 | 文化人類学
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