キーワード

インタビューが続くにつれてちょっと気にるキーワードが浮かんで来た。

それはアイロニーだ。最近話す人が誰も彼も皮肉屋なのである。お互い建前で
話しているということを了承しながら、さらにその建前を大袈裟にして皮肉に物事を
語る状況に出くわす事が多い。あたかも語っている対象については再帰的な距離を
保ち、皮肉な態度を取っているのに、それでも建前は崩さないという状況である。

皮肉に建前が崩せないのは何か隠し事をしているから、とか、あるイデオロギーに
対して距離を置いているからという訳ではなく、皮肉になりながらも一定の発話
ポジションでしか語ることのできない状況に置かれているというのが正確な見方だ
と思う。先日、校正させて頂いたTさんの論文にはキューバにおける皮肉な語りに
ついて見事にこの点を指摘されていた。理念的な希望とそれをなし崩す物質的・
現実的な困難という二重的拘束に挟まれた不安から生じる皮肉な語りをTさん
の論文はせつなさを伴いながら描いていた。今、自分が調査で出会っている状況は
キューバの状況とは大きく異なるけど、皮肉になりながらも一定の発話ポジションに
置かれてしまうという点では似ているように思う。ではその発話ポジションに置かれて
ている状況は何なのだろうか、という点に焦点を当てて語りの意味を捉え直したほうが
よいのだろう。

もっと簡単に言えばイデオロギーというのは、それを発する側も受け取る側も疲労を招く
というのが前提なのだろう。かと言って皮肉をポストイデオロギー的な状況にいる主体と
して想定するのも馬鹿げたことである。昔ブログにも載せたジジェクのトイレの話のように、
「身体から出る不快な排泄物に否応にも関わらせる」という逃れたくても逃れられない装置
のような中で、どう皮肉になっているのか、と言うのが重要な点だと思える。

という訳で、どなたかアイロニーについての論文をご存知でしたら教えて下さい。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2007-02-10 01:25 | 文化人類学
<< 辛い マリノウスキー的状態 >>