地獄という救い

一度調べてみたいことがあります。

それは、どの宗教でも死後の世界を天国と地獄に二分化して想定しているのか、という疑問
です。自分の知りうる限り、キリスト教、イスラム教、仏教は確実に死後の世界が天国と地獄に
別れています。その他の宗教(ゾロアスター教、マニ教、幸福の科学、etc)等では一体どうな
のでしょうか?おそらく天国と地獄という二分化はほとんどの宗教で想定されているのだと推測
します。

ここで面白いのは「なぜ地獄が必要か?」ということです。なぜ天国だけがあると想像できない
のでしょうか?死んだ人は全員天国に行けると仮定してはいけないんでしょうか?その疑問に
答えるために人類学的に色んな仮説を立ててみると、

1)機能主義的説明
「悪い行いをすると地獄に落ちるぞ!」と小さい頃に言われましたよね?つまり、天国に行けるた
めの条件を設定することによって、行為や言動を律する道徳的規範として社会に秩序をもたら
す機能がある。

2)政治経済的・唯物主義的説明
植民地化と宣教が結びついていたように、宗教というのは各時代の権力と密接に関連して来
たものです。「そんな宗教を信じていたら地獄に行くぞ!」と他の宗教を信じる弱者に対して迫
ることで改宗させ、権力・富を持った宗教集団に隷属させるイデオロギーとして役立った。

3)構造主義的説明
「天国」という言葉から想像されるものの良さは「地獄」という対にある言葉が併存しないと想像
できないですよね(逆も然り)?従って、認識の二項対立的な構造によって、「天国」「地獄」とい
う対になる2つの言葉がセットになっていないと、一方の意味を想定できない。

などが、仮定されます。

しかし、個人的にはこう思います。

地獄という考えはむしろ救いだ、と。地獄という場所では釜に煮付けられたり様々な肉体的・精
神的苦しみを被る羽目になっています。しかし、そこにはまだ生前と同じような「自己」が想定
されています。地獄で苦しみを被るということは、生前と同じように身体や感覚や意識がある
「自己」の存在が前提でないとその苦しみを味わうことはできません。このように、例え苦しくて
も「自己」が残るという地獄の想像は、逆に、もっと恐ろしい現実(ラカン的に言うリアル)を抑圧
しているのです。それは、死によってもたらされる完全なる自己の消滅です。無の恐怖です。
無の恐怖に比べると、針山や鬼の拷問など可愛いものだと思うのです。

というわけで、いつか機会があれば「地獄思想の比較研究」でもやってみたいです。
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by fumiwakamatsu | 2007-01-23 01:06 | 文化人類学
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