今日本屋さんに行って鶴見俊介の本が目に留まりました。
そこで思い出したのがうちの大学の日本研究所であった講演でした。その講演は 第二次世界大戦前の日本人留学生とハーバードというタイトルで行われました。 9・11のテロが起ったとき、キャンパスではやはりイスラム教徒の学生とアメリカ人 学生の間で少しいざこざがあったそうです。では、真珠湾攻撃が起ったとき、ハーバードの 日本人留学生は一体どう扱われたのか、という文脈で鶴見俊介の話が出て来たのです。 どういう経緯で留学してきたのかは忘れましたが、鶴見俊介が卒業間近のときに 真珠湾攻撃が起りました。何の罪も無い彼は、たしかスパイ容疑で勾留所に投獄 される憂き目に遭い、卒業できるかどうか危ぶまれていたのです。しかし、哀れに 思った彼の所属する哲学科の教授が、勾留所で卒業論文の口頭発表をさせることを 決断し、なんと拘置所の面会場でウィリアムズ・ジェームズの「プラグマティズム」に ついて発表させ、彼は無事に卒業できたそうです。 しかし、もっと皮肉なのは、なんと真珠湾攻撃を計画した山本五十六もじつは戦前に ハーバードに留学していたそうです。実際、彼の成績はすこぶる悪く、しかも一度大学を 飛び出して南部のどこかに旅へ出かけたところ、警察に保護されて大学に連れ戻された そうです。その私怨が積もって真珠湾攻撃を計画したのか、疑問に残るところです。 この他にも岩倉使節団が訪れたときの話や1つ1つのエピソードがとても面白かったのを 覚えております。この講演を行ったのはなんと学部生の女の子。しかも日本人とのハーフで すこぶる美人でした。まるで生き字引のように質疑応答のときにも詳細な情報を答えて くれていてその才色兼備ぶりに感服いたしました。彼女は卒業後、別の研究所で秘書として 働いていたのですが、どうやら今年その職を辞めてしまったみたいです。 じつは京都の実家がある町は昔岩倉具視が幽閉されていたので「岩倉」という名前です。 しかも、現在、鶴見俊介がその町に住んでいます。なんであのとき地元ネタを使って 講演者の子とお近づきにならなかったのか、今になって非常に悔やまれます。
by fumiwakamatsu
| 2006-12-02 01:46
| 雑記
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