フランス旅行日記 その2:ユダヤ人歴史博物館とパンテオン

クリミア戦争勃発後、あるユダヤ系フランス人の軍曹がスパイ容疑で裁判にかけられました。彼の冤罪を証明するために作家のゾラ、そして社会学者であったデュルケイムが弁論に立ち会いました。同じユダヤ人として同胞意識があったのは確かですが、デュルケイムは自らが提唱する「連帯意識」の概念に基づいて次の演説で見事に裁判官を説得させました。

「私はこの軍曹個人を擁護しているのではない。彼を守ることでフランス国家が培ってきた平等概念を擁護しているにすぎない。平等概念という連帯意識に例外を持たせることで、彼を不当に扱うと国家という集合体を崩してしまうことになるのだ。」

ユダヤ人の軍曹の名前はアルフレッド・デュルフス。この裁判は「デュルフス裁判」として歴史に名を刻みました。

パリ2日目。初日にエッフェル塔、凱旋門、ノートルダム寺院など有名どころを回ってしまったので、この日はどこに行くかで皆の意見が別れました。英語を話せる人間が1人でもいないと駄目なので、兄弟とは離れ、年寄り組と行動を共にすることにしました。とりえあず午前はオペラ座に行ったのですが、午後はルーブル美術館に行くという意見で一致しました。

しかし、個人的にはモナリザやミロのヴィーナスなど全く興味が湧きませんでした。これらの作品は”本物を見た”という事実を自慢することにしか価値がなく、写真で見たことがあるものをわざわざ人ごみの中で見ても何の感慨も起きんだろう、とふてくされた考えをしてたのです。とは言ったものの、別行動を取って他に行きたい場所があるわけでもなく、どうしたものか、と考えあぐねておりました。

そして、一同地下鉄でルーブルまで向かっていたとき、ある駅にて2M四方もの大きなポスターが貼ってありました。髭面で眼鏡をかけた凛々しい軍人の白黒写真でした。そして、右下にデュルフスという名前が書いてありました。

はて、どこかで聞いた名前だなぁ?と考えていたときに上の話を思い出したのです。デュルフス本人はどうでも良かったのですが、社会学・人類学の理路的土台を作ったデュルケイムの名演説の写真を見たい、と思い別行動を取ることに決めました。一応、年寄り組をルーブル美術館まで送り届け、その後、デュルフスの特別展示会をしているユダヤ人歴史博物館まで行って参りました。

が、

行ってみたものの、英語の説明が部分的にしかなく、展示品の説明の9割がフランス語のみだったので、全く理解できませんでした。写真やら新聞記事などが展示されていたので、わからないなりにもDurkheimという名前だけは見逃さないように、1つ1つ説明を読んでみたのですが、彼に関する展示はゼロでした(作家のゾラに関してはいくつも展示品があったのですが)。名演説だと思っているのは社会学者や人類学者だけだけなのでしょうか?悲しいものです。収穫は受付のお姉さんがとても綺麗だったことだけでした。

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その後、まだ時間があったので、地下鉄を乗り継ぎパンテオンまで行ってみました。ここはセイント聖矢に出て来るあれではなく、17世紀頃から歴代のフランスの偉人を埋葬してある、いわば国のお墓です。たしかに法学者のルソー、化学者のキュリー夫人、作家のユーゴーなどの棺桶がおいてありましたが、半分は過去の戦争で偉業を成し遂げた軍人の棺桶ばかりでした。これでは遊就館とあまり違いないな、とナショナリズムが間違った方向に向いているのに溜め息がでました。作家のカミュや哲学者のデリダ等もっと誇れる偉人がたくさんいるだろうに、悲しいものです(ナポレオンとド・ゴールが埋葬されてないだけましかもしれませんが)。

こちらがマニアックな期待を持っていたのが悪かったのか、ちょっと幻滅させられた1日でした。期待を裏切らなかったのは道行くパリ・ジャンヌのお洒落さだけでした。Vogueからそのまま出て来たモデルじゃないの?と思わせられるような綺麗な方が普通に多くいました。この点はショッピングモールに均質化されたアメリカとは違うと感心いたしました。
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by fumiwakamatsu | 2006-10-21 00:43 | 雑記
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