中国旅行日記 中国便所事情、または恥ずかしさの創造について:その②

で、上海、北京で駆け込んだ公衆便所はいかんと申しますと、、、。

これが以外にも非常にきれいでした。

たしかに観光地付近の公衆便所しか使ってませんが、ちゃんと個室の和式トイレが設置されていました。また上海ではスラム地区のような場所も訪れたのですが、たとえその中にある集合住宅はみすぼらしくとも公衆便所だけは綺麗に改築されておりました。公衆便所の汚さを批判され、恥ずかしく思った中国政府が、北京オリンピックの前に改善命令でも出したのでしょうか?

いや、むしろその改築ぶりは度を超えてました。万里の長城や天壇などの公衆便所に入ると、入口と便所の間になんとソファとクーラーが完備された「客間」のような空間がありました。観光客のおじさん達が漂う臭いも気にせずにソファーに腰を落ち着けながら談笑している姿が印象的でした(そんな客間を作るならせめてトイレの外に作ればと思うのですが、、、)。便器もさすがに紙は付いてないものの、なんの汚物もなく綺麗なもんでした。

しかし、です。

個室のドアを開けると、ふんばっているおじさんがいたことが2,3度ありました。天壇の便所ではち会わせたおじさんは、あまり恥じる様子でもなく「おい、兄ちゃん、入っとるがな~」という感じで注意してました。おじさんは良くてもこちらは「アイヤーッ!!」な状態なので、慌ててドアを閉め、次の個室を開けるとまた同じようにふんばってたので「アイヤーッ!!」になりました。私の腹も一刻を争う状態だったので、あまり驚かされると気が緩むので危機一髪でしたが。

たしかに鍵が壊れていたのかも知れません。しかし、ふんばってるところを見られてもあまり恥じたり驚いたりした様ではなかったので、おそらく見られてもどうでも良かったのではないかと憶測しております。もし昔はドアもなく一本の長~い便器で用を足していたのなら、何もドアを閉める必要が無かったのではないでしょうか?

だが、逆に考えると不思議なものです。

一体、人はいつから排泄という普遍的行為を「恥ずかしい」と思うようになったのでしょうか?老若男女を問わず人類皆この摂理に従わなければいけません。言うなれば、これほど誰にでも共通した行為もそれほどないのに、なぜ見られて恥ずかしい、と思うようになったのでしょう?食うものは地域で変われど、「出す」ことは誰も一緒なはずです。こう考えると昔の中国式の公衆便所も至極当たり前のことのように思えます。

じつはこのようなアホな問いは昔から考えていました。自分の仮説は、おそらく排泄行為を恥ずかしいと思うようになってから便所を個室化したわけではなく、西洋型の個室化された便所が一般に普及したことによって排泄行為に恥ずかしさを覚えるようになったのではないか、ということです。恥ずかしさの感情が個室のトイレを作り出したのではなく、個室のトイレこそが恥ずかしいという感情を作ったのだ、と。

このような単一進化的な考えはもちろん間違っているのですが、ただ、ひょっとすると自分はとても貴重な瞬間を目にしたのではないか、と思えてくるのです。つまり、たとえ便所自体は個室化されても、まだ恥を覚えだしていない、その絶妙なトランジションの瞬間をです。こう考えると便所の嫌な光景と臭いも忘れすがすがしい気分にもなれたのでした。まるで、あの「客間」に腰を落ち着けていたおじさん達のように、、、。

もう次の世代では恥ずかしさを覚えてしまうのでしょうか?これはまだまだわかりません。歩いているときによく見かけたのですが、中国の幼児は股の部分が割かれてるズボンをはいている子が多かったです。そして、いつでもどこでもウンチがしたければその場でしゃがんでしてました。これは相方が言ってた話なのですが、一度、北京のマクドナルドでオーダーの列に並んでいたとき、前にいた股割ズボンをはいた子が「おしっこをしたい」と言ったので、そのお母さんが「じゃあそこの角でしてきなさい」と言って、店内でシーシーさせたそうです。まだまだトイレを個室化したところで無駄なのでしょうか?

もし20年後にでも中国を訪れる機会があれば、是非また公衆便所に入ってみたいと思います。
そして、そのとき個室のドアは開くのか閉まっているのか、、、、わくわくです。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2006-09-06 00:40 | 雑記
<< 同窓会 ちょっと現状報告 >>