考える場所

「、、、歴史を車のバックミラーを覗きながら描写してみよう。バックミラーは狭い範囲のものしか
映さず、車の揺れのせいでぶれてしまい、そこに映るものは運転をしているドライバーの目線
に合わされたものである。しかも、バックミラーにはついさっき過ぎ去った景色しか映し出さない。」

これは担当教官の書いた「築地」の中に出てくる一節。彼の提唱する「伝統主義」という概念、
つまり過去とは現在の実践を正当化させるためにしか呼び起こされず、現在の状況を位置
づける象徴的枠組みを創造するためのイデオロギー、という考えを車のバックミラーに喩えて
説明している部分である。直進する時間軸と直進する車を重ね合わせ、ドライバーの目線、
つまり現在を生きる人間の目線でしか、鏡に映る限られた遠景の過去を見ることはできない、
という意味だ。「鉄道旅行の歴史」の中で述べられていることを真似しているかもしれないが、
上手い比喩だと思う。

以前から思っていたのだが、本当に頭が動いているときは、本を読んだりパソコンに向かって
何かを書いているときではなく、料理や運転など何か単純作業をしながら頭だけ働いている
ようなときである。従って、人類学者がある抽象的な概念を説明するときに持ち出す例を見て
みるとその人の生活環境がたまに垣間見れるときがある。担当教官の場合だと毎日郊外から
車で30分かけて通勤しているので、そのときに思い浮かんだに違いない比喩が彼の本の中
に多くある。Marry Douglasの「Purity and Danger」も彼女が料理しているときに思いついた
ような例がたくさんある。こう考えると、頭だけ働く単純作業をする場所を作るのは、論文を
書くのに必要な気がする。博士論文を書く段階になれば犬を飼い始めようと計画している。
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by fumiwakamatsu | 2006-04-09 10:11 | 文化人類学
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