歴史の判定者は誰なのか?

ラマダンで空腹の極みにあったインドネシア人のDに誘われて一緒にインド料理を食べに行った。
最初はたわいの無い話をしていたのだが、途中でDのお祖父さんが日本語を話せるという話題
になった。理由は第二次世界大戦中インドネシアが日本の占領下にあったとき、彼のお祖父さん
は日本軍が建てた小学校に通っていたということである。同じような話は台湾人のYからも聞いた
ことがある。彼女のお祖父さんにとっては日本語が第一語で中国語は戦争が終わった二十歳から
学び始めたらしい(李登輝元大統領も同じ状況だそうで、彼の中国語は台湾人からすれば拙い
そうだ)。日本の植民地主義という負の遺産は中国と韓国との関係でよく語れるが、植民地の
歴史を国家規模で断罪しようとしない日本の旧殖民国に目を向けると複雑な様相を帯びてくる。

Dが話すに、彼のお祖父さんは日本軍に感謝しているそうだ。オランダの占領下では一般の
インドネシア人は教育の機会すら与えられなかったが、日本軍は例え日本語を強要したとすれど
教育を義務化させたことは素晴らしく思っているらしい。「しかし、それは安価な労働者として搾取
しやすくするための教育に過ぎなかったのじゃないの?」と反論すると、「たとえ搾取が目的で
あっても、オランダは金を毟り取ることしか考えてなかったさ」とあくまでも日本を擁護していた。

そこで、これは現在の日本の歴史家でも右派と左派で解釈の論争になっているのだが、
と断った上で「第二次世界大戦で日本がインドネシアを占領しなかったらオランダの
植民地主義を終わらせることができなかった、とインドネシア人は考えているんだろうか?」
と聞いてみた。Dは少し考えた後、「答えはイエスだ」と言った。「インドネシア人にとって、
オランダに対する憎しみのほうが遥かに上回っており、日本の占領なんて所詮一時的な
ものにしか思っていない。そして何よりもオランダ軍を追っ払ったという功績のほうが、我々に
とってありがたかったさ、」と答えた。

その答えに正直驚いてしまった。むしろ、そんなことは言わないでくれ、と変な呵責を感じた。
そこで、「日本がインドネシアを占領したのは、中国南下政策を続ける上でABCD包囲によって
困窮していた石油の供給を確保するために占領したに過ぎない。大東亜共栄圏という
スローガンの元、西洋を駆逐しようとしていた大義なぞ、所詮、太平洋戦争が始まって
10年後に作られたイデオロギーに過ぎず、その裏側にはただ石油を奪うという利益の追求
しかなかったんだ」とDに反論した。しかし、「たしかに原因は別のところにあったかもしれないが
それでも結果は良かった。それに見ろ、日本は戦後もODAを与えてくれてインドネシアの
近代化に貢献してくれているじゃないか。インドネシアにとっては日本のポジティブな面しか
見えないよ」と言う。ODAの貸与こそ「借り」を与えて間接統治するネオコロニアルな政治じゃ
ないのか、とさらに反論すると「お前の考え方はリベラルと思い込んでいる学者の典型だな」と一蹴された。

たしかにそうだ、とそのとき納得してしまった。植民地的力学を批判することだけにしか意義を
見出さない自分の考えで盲目的になっていたのかもしれない。そして、そのように批判しようと
する姿勢すらも特権的立場に酔いしれているだけなのかもしれない(これは昔から考えていた
ことだけれども)。それでも心の片隅ではDに「お願いだからそんな肯定的なことは言わないで
くれ」と懇願している部分があった。一体歴史の判定者は誰なのだろうか?それよりも歴史とは
過去の出来事を忘却・取捨選択した上で、「現在」を正当化するためにしか生まれないのだろうか?
少しきまづい雰囲気で黙ってカレーを食いながら、そんな問いが頭の中を巡っていた。

さて、帰りにDが我が家に寄って行った。たまたまどら焼があったので緑茶と一緒に差し出す。
美味い美味いと褒めちぎっているDに「ほら、ドラえもんってインドネシアでも人気だろう?
これはドラえもんがいつも食べているあのお菓子だよ」と伝えると「えーっ!これがあのお菓子なの!?
どうりでドラえもんがあんなに美味しく食べてるわけだ!」とさらに感激したようである。おそらく
この感激は、よく漫画で出てくる想像上の「ビヨーンてのびる骨付き肉」を食べたような感激だった
のだろう。想像上でしか見たこと無い食べものを食べれて羨ましいなぁ、と少し嫉妬してしいた。

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ああ、これ食べたいな!!
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by fumiwakamatsu | 2005-10-29 15:29 | 文化人類学
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