大学時代の周りの友人を見渡すと、「可動的」という言葉が
当てはまる人が多い。これは自分がとある時代に特赦な大学に行き、 さらに特殊な学部にいたから、ということが大いに関係しているんだが、 それにしても何故ここまで国境を越える生活を普通にしている(いた)んだろう、と 考えさせられる。例えば、先月東京に戻ったとき、寮に住んでいた友人達と飲み、 その次の日には学部の友人達と飲んだことがあった。そのときのメンバーの概要は 以下の通りである。 1日目 フランスに留学し、フランス人の彼女が東京にいる。 ロシアに留学した後、ロシア人の奥さんと東京で住んでいる。 フィリピンから東京の大学院に留学してきた彼女がいる。 イタリアに留学し、今は京都の芸術大学に通っている。 2日目 外資金融で働いた後、スウェーデンのビジネススクールに今月より留学する。 ブラジルで生まれ育った日系人で、外資不動産で働いている。 カナダの歯科学校より一時帰国していてとんぼ帰り。 そして昨日はサークル・学部の両方で先輩だった方からメールが来た。 彼女はDakota Starというプロのバンドでボーカルをやっている。 このバンドの面白いところはアニメのキャラクターが演奏し、実際の メンバーの国籍は不明にして売り出しているところだ。まずドイツでCDを 先行販売。これから日本に来るそうな。確かに彼女の英語を聞いていても 日本人とはわかならい(北欧の歌手が英語で歌っているのに近い気がする)。 ちなみにバンド名は彼女が昔サウスダコタ州に留学していたから、という単純な 理由らしい。彼女の日記に、「これからもメンバー一丸となって国境関係なく ぶっちぎっていく所存でございます!」と書いてあったのが印象的だった。 恋愛にせよ、ビジネスにせよ、学業にせよ、別に国境を越えるからと言って成功する わけでもなく、何かすごいことをしているとは思わない。国境など一度も越えなくとも 立派になる方々はいくらでもいる。ただ、周りの友人や自分の間で共通していると思われる点 は、本人にとって利点と思われることがあればそれを追求する過程で国境を越えてしまい、 例え習慣や言語の違いがあれどその「差異」を言い訳にはしない、という前提だろう。 「差異」があるかないか判断するのは個人によってマチマチだが、国境を越えて同じ 土俵に立つというのはそう簡単な話じゃない。しかし、「難しいからと言って何なの?」 という開き直った厳しさのような前提を持ち合わせているように思う。国境を越えた先にある 土俵に立つと手に入れることができる愛・金・知識等の幅が広がる、と思っているならば、 そうすればいいだけだ、という感覚だ。それが正しいか間違っているかは別として。 ちなみに自分の場合は日本の会社や大学院に行きたくても行けなかったという事実がある。 リクルートスーツを着て某生命保険の企業説明会に出ていた過去がとても遠くに思える(笑)。 (余談) アイフア・オンという人類学者に言わせれば、このような感覚を共有することこそが、 後期資本主義で可動性が高まり、ネオリベラリズム的市場原理に合致するように、個人が 主体化/従属化していくそうなんだが、こちらからすれば「へぇへぇ、そうでっか、そんなに 権力の極大解釈をしたいのならば喜んで権力に呑まれますわい」と言いたくなる。
by fumiwakamatsu
| 2005-09-18 02:17
| 雑記
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