デリダ 対 レビーストロース

「、、、1960年代の後半(レビーストロース自身が言うには1968年の5月なのだが)、
フランス構造主義はその魅力を失うことになった。そして、極めて相対主義的立場を取る
”ポスト構造主義”へと道を譲ったのである。」 (Kuper: Culture、p18)

68年の5月にパリで「5月革命」が起こったのは知ってたんだが、何か勘違いして
この年にデリダの「グラマトロジーについて」が出版されたものだと思っていた(実際は1967年)。
革命の話はさておいて、色んな本を読んできて未だにわからないのが、デリダは構造主義の
二項対立を完全に批判し切ったのかどうか、という点だ。「グラマトロジーについて(以下、グラマ)」
の中で、デリダが直接レビーストロース(以下、LS)について述べている第2部だけえを読んでも
(間違っても理解できたなんて言えないのだが)、それがどう二項対立の批判に繋がっているのか
よくわからない。おそらく、LS自身が二項対立の図式を提案しときながら、それを維持できていない
ということを、「悲しき熱帯」で見られる音声中心主義の批判を通じて言いたかったんだと思う。

まず、音声中心主義批判の対象となっているLSの「悲しき熱帯」のエピソードから。

LSはアマゾン奥地のナンビクワラ族という文字を知らない部族と出会ったときの体験について語っている。
彼がその部族の中で暮らしながらノートに記述をしていると、部族の人達が興味を示し出したので、
紙と鉛筆を渡してみたところ、何やらわけのわからない曲線を描き出すことに夢中になり出す。そして、
その部族の首長が自ら書いた線の書かれた紙を取り出し、あたかもLSの秘密を知っているかのように、
周りにいる人間を集めて読み出す。この文字の侵入をLSは階層化の始まりだと捉え、否定的に考える。
つまり、無垢で平等なナンビクワラ族社会が西洋人と接触することで文字というものが入り込み、それは
ある人間に特権として使われるので、むしろ社会の階層化を招いてしまう負の遺産だと考えたわけである。

デリダはこれを、文字より音声のほうが優越しているという音声中心主義の思想を投影したに過ぎない、
と批判する。つまり、文字そのものは音声を書き留める副次的なものに過ぎず、さらには音声のもつ
純粋で無垢なものを壊してしまう負のものとしてLSは考えている、という。そして、この音声中心主義は
LSだけでなく西洋哲学に一貫して見られるものらしい。この後は今いちよくわかってないのだけれども、
デリダはナンビクワラ族では、文字がなくともすでに似たような階層化が始まっている点を指摘している。
それは、この部族では固有名詞(つまり人の名前)を用いるのを禁止されているのだが、子供達は
喧嘩をするとその固有名詞を口に出す。この時点で原始的な分類が始まっているのだから、根源的暴力は
すでに存在している、ということだそうだ。自分なりの言葉でわかりやすくすると、おそらくLSは、
文字の介入以前のナンビクワラ族は「誰の間にも差異がない部族」だったのに、文字が介入してからは
「誰かが特権的な地位に立てる差異が生まれた部族」へと変貌した、と嘆いてるのに対し、デリダ自体は、
そんな階層化は、文字の介入が入る前から進んでいたと指摘し、そう思い込んでいるのは上に述べた
音声中心主義を鵜呑みにしてるからだ、という批判なんだと思う。

色んな参考文献を辿ったところ、多少の御幣はあれど、大まかな論点はこれで大丈夫かと思う(多分)。
で、問題はこの音声中心主義の批判がどう二項対立の批判になっているか、ということだ。これがわからん。
初めて「悲しき熱帯」と「グラマ」の2部を読んだときは、「この部分は何も二項対立について話してる
わけじゃないんだから、別に構造主義の根幹は否定されたわけじゃないだろう?」と訝しがってたのだが、
どうやらそうではないらしい。おそらくなのだが、デリダの言わんとしてたころは、音声/文字という対立自体が、
片方の項(音声)に高い価値が付与され、もう片方(文字)が劣ったものとなっているように、どの二項対立を
とってきても、その2つの項の間には片方が支配的でもう片方が補助的という序列関係が常にある、という
ことなんだろう。そして、もしLSが主張するように二項対立という考え自体が、2つの項が”平等”に
対立するように能の中で認識する構造が主体に埋め込まれている、というのならば、言語の中ですでに
始まっている位階序列化を無視することになり、言語の前に先行する主体の存在を想起するので、
構造主義は間違っている、ということなんだろうか?

しかし二項対立自体もまだわかったと言えないから(二元論とどう違うの?)本当にこれでいいのだろうか?
どなたか、もっと確実に理解されている方、教えてくれませんか?もしくは、「これを読めばデリダがなぜ
音声中心主義を批判して二項対立を否定しえいるのかわかる!」という本がございましたら、教えて下さい。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2005-09-10 15:22 | 文化人類学
<< 相対主義について ロス、結婚式、若松家 >>