Empty Master Signifier

「、、、しかし、象徴化が成り立つ過程は、空のシニフィエ(Empty Signifier)を必死になって固定させることと
密接に関わっている。いや、むしろそれに依拠していると言ってよいだろう。これはどういうことかというと、
私が自らの象徴的アイデンティティーを変えるには、常に新たな内容で満たすことができる
’空のシニフィエ’が象徴界の中にあるという前提がないと無理だということである。例えば、
民主化というのは新たに(女性、労働者、マイノリティーための)自由と平等を築いていくということ
なのだが、このように築きあげる過程で”民主主義”というシニフィエを常に指し示すことが必要となってくる。
そして、この”民主主義”という言葉に新たな意味を植え付けていくための闘争こそが、イデオロギー的闘争
になってくるのである。(例えば、女性のための民主主義を考えず、労働者の奴隷化を認めもせず、そして宗教的、
民族的、性的マイノリティーを尊重しないような民主主義は、本当の民主主義とは言えないと叫ぶようなことだ。)
象徴化される内容を作りあげるには(つまり民主主義が’本当のところ何を意味するのか’決めるための勝敗は)
いかに’民主主義’という空のシニフィエを固定させるかに拠るのだ。」

Zizek, The Plague of Fantasies, p94-95
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by fumiwakamatsu | 2005-09-05 13:38 | 文化人類学
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