中学の頃から眠る寸前まで寝転びながら小説を読む習慣があった。
しかし、渡米してからは英語の専門書しか手元にないのでこの習慣が廃れてしまった。 英語だと読むのに根気がいるので逆に目が覚めてしまう。しかも赤線を引きたくなると 結局机に戻って読み始めるので逆効果だ。軽く読めて何かしらのためになるような日本語の本、 しかもできれば小説以外の本を読みたいのだが、これがなかなかボストンでは見つからない。 ところが先日、極東研究の図書館で日本語の廃棄図書を無料で提供していた。 廃棄されるだけあってろくな本は無かったのだが一冊だけ持ち帰って来た。 それは「ノムダス:勝利の法則」。野村元ヤクルト監督が書いたエッセー集。 彼は豆に「論語」を引用して監督・選手間の道徳観について語っているのだが、 やはり自分はずっと体育会系だったので彼の哲学がすんなり身に染みてしまう。 「スランプという言葉は三割打者しか使ってはならない」とか、「天才とはイチローの ように悩みを克服して天性の才能を発揮できる人間だ」とか、なるほどな、 と関心してしまう。おまけにヤクルト選手の裏事情まで具体的に載っていて面白い。 ふと思うんだが、学者を職業とする人は批判的にならずに趣味として読む本は あるのだろうか?学者ではないのだけれど、うちの父親は昔小説家を目指していた くせに、弁護士になってからは一切小説や文学論を読まなくなった。寝る前でも いつも難しそうな法律関係の本ばかり読んでいる(本人は難しい本のほうが眠りに 落ちやすいのでいいそうだ)。しかし、生きる糧として読むのではなく純粋に娯楽 として本を読めなくなる、というのは悲しいもんだ。 学部時代のある教授は博士論文を書いていたときにカエサルの「ガリア戦記」を 熟読していたそうだ。彼曰く、ローマの彼方に逃避していた空想の時間がなければ とても博士論文を書き上げることはできなかったらしい。空想が論文に反映されるのは 怖いけれども、やはり娯楽と仕事を使い分けた読書をしないと考えるリズムも狂う気がする。
by fumiwakamatsu
| 2005-05-12 13:42
| 雑記
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