おかげさまで

このブログ開設以来、訪問回数が1万件を突破いたしました。
こんな妄想日記に足を運んで下さるとは申し訳ないやら嬉しいやらです。

さて、今日は学部の先輩Pの博士論文の口頭発表に行ってきた。お題はバングラデッシュ独立戦争と暴力の記憶について。
寝不足だったのであまり理解できなかったのだが、独立戦争時の暴力(民兵による少数民族の虐殺、レイプなど)
を国家が隠蔽しようとする反面、映画・私設記念館・証言録的小説を通じて過去の記憶が明るみにされてきている
状況について話をしていた。面白かったのは、犠牲者の証言に基づいて当時の状況を再現した小説を書き、
彼女はそれを論文の一章にしてしまった点だった。そんな実験的論文をうちの教授が受け入れるのか、不安だったが、
Pは無事博士号を授与されていた。なんで小説にして描いたのか、と聞かれるとPは「証言を聞いているうちに、
当時の体験を共有していない私がどう表現してよいかわからなくなり、証言だと出来事を”事実的”に描けても、
犠牲者の内面性や感情を”事実的”に描くのは不可能だと思ったので、想像力に任せた小説として描いた」と説明していた。

民族誌という表現方法はフィクションではあるが、フィクション的に書いてはならない、という奇妙な鉄則がある。
しかし、表現方法自体に拘束されることにより書けないものを置き去りにしてよいのか、というよのがよく問題にされる。
実際、人類学者の中にはフィールドワークの体験を通じて小説家になる人は多い(Amitav Goshの「In an Antique Land」がいい例)。
それは教授職の終身雇用を得た人だけができる趣味的行為だと思っていたが、博士論文でも認めるようになったとは驚きだった。
James Cliffordは「人類学者なんて、できそこないの小説家や詩人の集まりだ」と揶揄していたが、
人類学という学問体制の中でも「できそこない」ではない小説家になれる可能性がでてきたのかもしれない。

しかし、博士論文の発表を聞きに行くといつも励まされる。
うちの学部では論文発表を終えたあと指導教官達が別室に移り10分程合否の判定を論議する。
そして、もし教授陣がシャンパンを持って部屋に戻ってきたならば無事合格ということになる。
論文の査読は事前に行われているので落ちることは滅多にないのだが、やはり教授陣が
戻って来るときは緊張が増し静かになる。そして、ドアが開いてシャンパンが見えると
一気に歓声が上がり、拍手とハグで会場が満ちる。中には泣き出す院生もいる。
長年の苦労が報われる瞬間とはかくも美しいものか、と感心してしまう。

果たして後何年後にこの感動を味わえることになるのやら。
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by fumiwakamatsu | 2005-04-26 11:44 | 文化人類学
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