今後の道程

昨日、「グローバル化と文化」の授業でW教授が「本を書くとは何ぞや?」と力説していた。
と、言うのも、その授業で読んできたグローバル化論の本がすでに古臭く、90年代の時代背景
でしか当てはまらない内容のものばかりなので、一体どれだけ先見性をもって研究できるか、という
話になったからだ。たしかにAppaduraiが主張する「移民とメディアの越境するランダムな流れが
国民国家体制を揺るがす」という考えや、Ongがフーコーの統治性概念を使って市民権の拡大と国家の
体制化を弁証的に捉えるやり方などは、90年代初頭の可動性を賛美していた時代にしか当てはまらない。
共産主義崩壊で始まった冷戦体制の終了から911のテロまでの時期を一くくりにした場合、たしかに
その時期はグローバル化に対して変な高揚があったように思う。では、実際にフィールドワークという時間の
かかる方法手段で論文を書く場合、理論の枠組みとデータの内容をいかに新鮮なままで残せるか、というのが問題になる。

W教授は具体的に、もし今年からフィールドリワークを開始した場合の”理想的”計画表を黒板に書いていた。

2005年8月:フィールドワーク開始→2007年1月:終了→2009年4月:博士論文終了→
2009年6月:博士課程卒業→2009年9月:就職(授業に追われながら論文の書き直し)→
2010年4月:本の草稿終了→2011年3月:草稿のレビュー終了→2011年8月:草稿の訂正→
2011年9月:印刷開始→2012年9月:ようやく本の出版→2013年:終身雇用(Tenuer)査定

例え今年に調査を開始しても本が出るのは早くて7年後という計算になる。
そしてその本の出来栄え次第で終身雇用が得られるかどうかが決まってしまう。
また、それまでに学術雑誌で論文を2・3本は出稿できてなければいけない。
しかもこれは「優秀な生徒」の場合なので、必ずしも皆に当てはまる計画表ではない。

こう考えると、現在興味のある課題・理論・事象が本当に7年後まで使えるものになるのか不安でしかたない。
我が学部最長老であるW教授の場合、60年代後半に先祖崇拝を研究しに中国の農村に行ったところ、
その村ではすでに海外移住が始まっており、親族関係を明確にするために村の移民をヨーロッパに追って
調査する羽目になったそうだ。すると、80年代後半からディアスポラの研究が盛んになり、勝手に先行研究として
取り上げられることになった。運が良かったのか、彼に先見性があったのか、果たしてどうだったのだろう。

W教授は、「フーコーやポストモダンは、ありゃ20世紀後半の代物じゃ。今それに飛びついてもわしゃ責任とらんぞ」
と言っていた。それが正しいかどうかはわからないけれど、彼はもはや廃れてしまった親族関係を人類学の課題に戻そうと
躍起になっている。良くも悪くも、こういうおじいさん的な教授がいるのも頼もしいもんだ。

具体的なことを書きながら、いかに時間と空間の制約を超えていくことができるか。
難しい課題である。果たして10年後の自分はどこで何をやっているんだろう。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2005-03-17 14:13 | 雑記
<< 後だしジャンケンについて Home Plus >>