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学問の恣意性について

これは文化人類学だけのことではないのだけれど、
ある学問分野の(1)存在意義(2)理論・表現体(3)調査方法
の3項はつながる必然性のない恣意的関係で結ばれている、
ということを自覚しなければいけない。そして、この3項の結び付きは
各時代・社会背景に大きく左右されていて、「歪んだ」形で固定化される可能性がある。

今では異論があるけれども、概ね文化人類学が掲げてきた
「文化相対主義に基づいた異文化の翻訳作業」という存在意義と、
「各個人が社会関係にあてはまりながら信条・価値体系・体制・言語・行為などの
非生物学的な営みを再生産する仕組み」に重点を当てた理論・表現体と、
「文脈に注意を払いながら長期間参与観察を行うフィールドワーク」という調査方法は、
ある時代と社会背景のまったくの偶然によって結びついてきたのである。

ことは第一次世界大戦のとき、マリノウスキーという人類学者が旧英領のトロブリアン諸島に取り残されたことから始まる。
オーストリア人だった彼は、戦争のせいで所属するイギリスの大学に帰ることができなくなったので、滞在していた
オーストラリアの近くにあるトロブリアン諸島で住みながら調査を始めた。それ以前の人類学者は、布教活動を行っていた
宣教師や旅行者の手記に頼って未開から文明に至る社会進化の段階を理論化することに夢中になっていたので、
彼の調査方法は画期的だった。そして、彼は戦後イギリスに戻ってから「現地人の視点に立ちながら」「長期に渡ってフィールドワークを行うことで」
「一見、非合理的な社会制度でも、その裏側には個人の存続を助長するような機能が備わっている」のが理解できる、
という機能主義という理論を唱えた。そして、ロンドン大学にて人類学を制度化して行き、上に述べた3項の結びつきが固定化していった。

もちろん、彼が行っていた調査の背景には植民地主義という政治状況があり、調査する者とされる者の間は歴然とした権力関係があった。
彼の死後、前妻が彼が調査中に書いていた日記を出版し、「現地の人々の視点」だとか「長期に渡るフィールドワーク」などの建前の裏には
人種差別的な考え方や、トロブリアン島に滞在していたイギリス人宣教師・行政官達とほとんどの時間を過ごしていたことが明るみになった。

さて、上の3項の結び付きと、その背景にある植民地主義、啓蒙思想、オリエンタリズムを歴史的に再考する作業は
これでもか、というくらい人類学内で行われている。自己反省が一種の通貨になって経済が循環しているような学問になった。
自己反省することは重要なのだが、過去の負の歪みを紐解けば未来に繋がる、というヒーロー的立場を取る人もいれば、
同じような歴史的関係を繰り返さないと、この学問自体が存続しようない、という一種の諦めのような雰囲気もある。

しかし、このような混乱のおかげで3項の結び付きが恣意的だと再考できたのはいいことだと思う。

(明日に続く)
by fumiwakamatsu | 2005-03-07 16:04 | 文化人類学
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