どうするよ、言説?

今日はライシャワー日本研究所でポスドクをしているOさんの研究発表を聞きに行った。
彼はうちの担当教官がコーネルで教えていたときの生徒で、去年博論を提出した。
研究テーマはボランティアと市民社会の形成。東京の葛飾で1年間フィールドリサーチをしたそうだ。

さて、内容はというと、NPO支援法が制定されてからボランティアグループが一気に増加したが、
それは市民社会の自律性を高めるのではなく政府の権力が体制化される傾向にある、というもの。
Oさんはフーコーの統治性(Govermentality)という視点から、政府がボランティア支援を通じて市民の行動を規定化して行き、
その過程でボランティアの主体性(Volunteer Subjectivity)が生産・再生産され権力が浸透して行く、と主張していた。
あまり理解できなかったんだが、ボランティアの主体性はさらに保守的新自由主義のグローバル化と関連しているそうだ。

Oさんはこの主張の裏づけに、日本政府や知的階級が市民性の基準を明確にしてきた言説を過去に遡って紹介し、
(1)戦時中のファシスト体制、(2)戦後の高度経済成長期、(3)現在のボランティア支援の各時期には、
共通して「自律した個々の市民が近隣社会を支え合う」という市民性の基準が形成されてきた、と述べていた。
現在は戦時中の隣組のようにボランティアが体制化され、市民を主体化させると同時に隷属化させていき、
権力が浸透している、そうだ。あとは、保守的新自由主義とのつながりを述べてたが、いまいちわからなかった。

「で、葛飾はどうなったの?」っという話である。Oさんは一言も自分のフィールドリサーチに触れてなかった。
発表後の質問で、彼が葛飾の生涯学習センターで参与観察していたことが明らかになったのだが、
そのローカルな次元の話が上に述べた国家の次元とがどう相容れているのか、詳細な説明がなかった。
担当教官が少し怒気を含めて、「もう何度も繰り返し言ってきたが、人類学者として民族誌的記述を
君の論調の中にどうやって組み入れるんだね?これじゃあフィールドリサーチした意味が無くなるじゃないか」と突っ込んでいた。
Oさんは「この短い発表時間で理論的要点まとめるために民族誌の部分は抜きにしました」と反論。
これじゃあ埒が明かなかったので、「ではOさんが接したボランティアの方々は、一体どのような利点を認識して
NPOとして法人化しようと思われたんですか?そして、政府との関わりをどのように正当化されてたんでしょう?」
と、自分が質問すると、これまた回答があまり詳しくなかった。

フーコーの言説/権力論を使いたくてしかたない誘惑に駆られたんだろうなぁ、という感想だった。
フーコーの権力論を使うとショック効果抜群なのはわかる。本人達はいいことしていると思ってるのに、
じつはそれが権力の体制強化につながってるんだぜ、というような批判ができて格好いいしね。
でも言説にばかり目をやると個人の利益追求・実践・批判能力を無視しがちで、本当はもっと混沌としている状況を、
まるで機械的に権力構造ができあがってるように表現してしまう。
フィールドワークはその混沌とした状況に接するからこそ意義があると思うのだけれども。

実践/言説、主体関与(Agency)/構造、意識/虚偽意識、ブリコラージュ/科学的思考etc、、
これら水と油のジャーゴンをいかに民族誌の中で折り合いつけたらよいものか、ですな。
[PR]
by fumiwakamatsu | 2005-02-04 17:17 | 文化人類学
<< 恋愛成績表 1320コミュニタス >>