我々はこうして始まった

ある本を取りに行くために動物学図書館にまで足を運んだ。
その建物はかつて形質人類学という、人類の進化を研究する学問分野の建物だった。
入り口を入るとすぐ右に「形質人類学者、アガシ名誉教授を記念して」という標識が目に入った。
「あれ、まだアガシの名前を残してたの?」と驚いた。というのも、昔は建物自体がアガシホールと呼ばれていたのだが、
この学者の人種差別的な思想が80年代に批判され、一切「アガシ」という名前が排除されたことを知っていたからだ。

去年履修していた社会人類学の歴史・概論という必修クラスで一番最初に読まされた本が
Bakerの書いた「From Savage to Negro (未開人からニグロへ)」という本である。
19世紀後半の人類学は進化論と人種差別が融合した形で発展し、
ようは猿からヨーロッパの文明人までの進化の過程がいかに形成されていったか、
そして、その証明のために黒人を”未開人”として位置づけることに躍起になっていたのである。
これは学界だけでなく、世間一般でも興味の対象となっていた論題であり、
アメリカの人類学はその期待に答える知の権威として発展していったのである。

その先頭に立っていたのがハーバードだった。
1893年、シカゴで万博が開かれた。
そのときの「人類の進化コーナー」の指揮に
当たっていたのが、このアガシ教授である。
彼は、アフリカ中部の森林の中で生活している
ピグミー族の男性をこの万博にまで呼び寄せた。
この部族は比較的背が低く、いわゆる弓矢などを使った狩猟生活を行っていた。
アガシ教授はこの部族について知った時点で進化が解明された、と信じきった。
ようはこのピグミー族こそが、他の類人猿と人類とを繋ぐ「失われたリンク」だと思ったのだ。

そこで彼が何をしたかというと、オラウータンがいる同じ檻に
このピグミーの男性を入れ、「進化の謎を解明!!」と題打って展示したのである。
そして、その檻の横では他の”服を着た”別のアフリカの部族が一緒に展示されていた。
今では信じられない話かもしれないが、平気で学者がこういうことをしていたのである。

この授業を教えていたのはアフリカ系アメリカ人のM教授だった。

「現在の歴史認識から当時の人種差別的な考え方を批判するのは簡単だろう。
しかし、そんな批判をしたところでナルシスト的な自己満足に浸ることしかできない。
まず君達が知っておくべきことは彼ら人種差別者と同じ知の権力の体制にいることだ。」

この言葉で人類学者としてのキャリアがスタートしたのである。
ハーバードという大学名からは、エリートとして空の上に生きている、と思われるかもしれない。
しかし、少なくとも学部の同期の皆は、自己の中に分裂的な感覚を持ちながら研究を進めている。
人類学は植民地主義との密接さや他者表象の問題でその土台が揺らいでいるが、
そんなのはまだ漠然とした言説上の問題であり、この例のように具体的な過去の遺産と直接繋がってるわけではない。
ポストコロニアルや脱構築などのジャーゴンを使って批判するような単純な目的論も許されていないのである。

ちなみにアガシ教授が世界に派遣した学者の1人が、大森貝塚を発見したエドワード・モース。
日本の教科書ではヒーロー的に扱われてません?
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by fumiwakamatsu | 2005-01-23 15:51 | 文化人類学
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