Blogの人類学

Welcome to the Blogsphere!というタイトルである人類学者がブログについて書いている。内容はブログ成立の歴史を述べた後、草の根レベルでの政治的意見の交換が活発になるのではないかと示唆している。ほんまかいな。

この論文の中では述べられていないけど、ブログは”実体のないコミュニティー”として研究すると面白いのでは。

まずブログが果たした一番の功績は、ウェブ表現を一般化させたことだ。HTMLの暗号を知らずとも素人がボタン操作するだけでウェブに書き込むことができるという容易さを可能にした。過去にも”掲示板”のように、簡単にウェブ表現ができた、と言われるかもしれないが、それは、あらかじめ決められた題に対して不特定多数の人間が意見を主張するに留まっている。ブログは、各個人が主に”日記”という形で、自己表現をしている。そして、何よりもWebを通じて私的な一面を公にし、他人との繋がりを求めている。

問題は、どう”繋がって”いくか、だ。ここでの繋がるとは、持続的にお互いの意志を表示し、交換していく、という意味で用いている。
はたして、既存のコミュニティーが内向的結束力を高めるための一手段としてブログが成り立っているのか。
もしくは、全く面識のない不特定多数の人達と繋がる媒体になるのか。
それとも、不特定多数の人達と繋がりながらも、とても限定された共通項で結ばれる、いわば”広がりながら狭まっていく”媒体なのだろうか。

自分のブログを例にして挙げると、上3つの全てのを繋がり方をしている。

大学時代の友達から勧められてブログを始めたが、それは日本から離れてしまっても同時にお互いの近況を教えあえることができるからだ。そして、その友達と繋がっている自分とは全く面識のない人達と繋がりだした。しかし、最近はまったく関係のない人からメールやコメントを頂くことも増えてきて、面白くなってきた。

だが、だ。

結局、自分と繋がっていく人は「4年生大に通い(通っていた)、海外在住経験がある中産階級の人達」ばっかりだ。おそらくだが、中学卒業して長距離トラックを運転してる30代の男性とは決して繋がらない。もしくは短大を卒業して家事に専念している主婦とも繋がらない。両者とも、どんな生活をしているのか知りたいので是非繋がりたいのだが。

こう考えると、例えばマクドナルドで働くように、実体のあるコミュニティーに帰属するほうが、遥かに自分とは共通項を持ち合わせない人達と繋がれる可能性が大きいのじゃないだろうか。実体がなく、不特定多数の人間と私的な部分を見せ合うことができるからといって、それが新たな人間関係の構築に繋がるとは思わない。

マクルーハンはインタネットの発達によりGlobal Village(世界村)ができると言ったが、それはとても間違った見解だと思う。むしろ、ブログで作られる実体のないコミュニティーは、広がりながらも狭まっていき、より一層、特定の趣向で縛られた関係しか築けないのではないだろうか。

ブログの人類学。これから発展する可能性がある人類学の分野だ。
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by fumiwakamatsu | 2004-09-03 07:30 | 文化人類学
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