近代の狭間で

近代の特徴の1つが時間のアイデンティティーの変化。
伝統的と呼ばれるものから自己が乖離して、それを外から眺めるようなアイデンティティーが生まれる。
問題は(自国の)伝統と(西洋の)文明が両端にあるような尺度の物差しを、誰が誰に対してどういうときにいかなる目的で使うか、だ。

さて、昨日はインドネシア人Dの家に昼食を招かれた。
行ってみると他にもインドネシアから来たDの友人3人が来ていた。

A(男)はBUの大学院で英語教育を学んでいて、インドネシアの文部省から派遣された留学生。
T(女)はMITの大学院で建築を学んでいる。ジャカルタ出身だがずっとインターナショナルスクールに通っていたそうだ。
S(男)はペンシルバニアの語学学校に通っていてAを訪ねてボストンに遊びに来た。マレー人の他の2人とは違って彼はパプア出身。

主にAとTが主導で日本に関する質問攻めにあった。
「サムライってまだいるの?え、いないの?じゃあニンジャは?お相撲さんってなんであんなに太ってるの?
クレヨンしんちゃんって知ってる?インドネシアで大人気だよ。ドラえもんとホカホカ弁当も人気だしね。Fumiはノビ太に似てるね。」
などなど、怒涛に続いた。ノビタに関してはタイでも同じことを言われたことがある。日本人で眼鏡を着けてればノビタなんだろう。

質問が一段落したところでAが独り言のように呟いた。
「日本は素晴らしい。西洋化していてもちゃんと自分の国の文化を保持している。
それに比べてインドネシアは何でもかんでも西洋のものを受けれいれるだけでいけない。
一体どうして日本人は自国の文化を見事に守っていけるんだ?」

この質問には参った。文化の政治学を説明して場の雰囲気を汚しても仕方ないので
「日本もインドネシアとそう変わらんよ。皆、Tシャツ着てジーンズ履いてるしね。
伝統的に残ってるとしたら正月の御節料理や結婚式に着るときの服装とかかな。」
おそらく後者も近代以降に創られて浸透したものだと思うけど、とにかくこう言って逃れた。

Aは矛先を変えてSに向かい「おいS、お前のところの習慣(Custom)について話してあげなよ」と言った。

Sは3人の中で一番静かだった。そして、このAの提案に対して明らかに決まり悪そうな顔をしていた。
「僕はパプア島でも都会で育ったんだが、いわゆる”未開人”と言われる人々が住んでるところでは」とSは前置きして、
未だに一家の主が死んだら家族全員が小指を切ったり、金じゃなくて貝が通貨として流通している、と言い、
そして最後に「どうやら人類学者はそんな習慣を記述するのが好きで、パプア島は大人気みたいだけどね」と言った。
彼は明らかに「いわゆる未開人」として見られることを拒否していた。そして最後の一言には人類学への非難を含んでいた。

ここでDが素早く切り込んで、インドネシア語で人類学はもう未開の学問じゃなくなったんだ、と説明したようだった。
この後も少し会話が進んだんだが、3人がハーバードのキャンパスを見学に行くために昼食会は修了した。

帰り道、本屋に寄った。探していた本は無かったんだが、FabianのTime and Otherという本を買って帰った。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-29 22:36 | 雑記
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