Gray Zone

何か問題が起こると良い者/悪い者という対立絵図につい当てはめてしまわないだろうか?
大抵の場合、そんな単純に物事を割り切れることはできない。しかし、認識の段階ではどうしても単純化されてしまう。

プリモ・レビというアウシュビッツの生存者が書いた告白録(英題:The Drowned and the Saved)
にはそんな被害者/加害者という対立関係が当てはまらない「灰色の場所」について書いてある。
機械的にユダヤ人が殺されていた中、彼は生き延びることができた。それはガス室の死体処理班を担当していたからだ。
アウシュビッツの収容数が最大限になった終戦間際、およそ2000人のユダヤ人がドイツ軍の管理下で運営作業に携わっていた。
彼らは同胞の大量虐殺に加担することでしか生き延びることができなかった。

敵とはいうのは他者ではなく常に仲間の中にいる。
なんとかして長く生き延びるためには敵に気にいられるしかない。
従って、抑圧が増せば増すほど、敵と協力しようとする動機が沸いてくる。
ファシズムが生み出した全体主義の構造は、このように被抑圧者が
抑圧者側に加担したいと下から望んだことにより、いくらでも再生産することができた。

レビ曰く、ドイツ兵よりもユダヤ人の監視役のほうが残虐・暴力的だったそうだ。
それは、もし手ぬるく他の同胞を扱うとドイツ兵に疑われて殺される可能性があったからだ。
レビ自身も、たとえ直接暴力に加担せずとも、いかに手際よくガス室の死体の山を処理するかに命がかかっていた。

彼が一番辛かったこととして語るエピソード。
いつもと同じようにガス室の死体を外に運んでいると
16歳くらいの女の子が1人だけ生き延びていたのだ。処理班全員が混乱に陥る。
「死んでなければいけない人間が生きているせいで、我々が殺されるかもしれない」
しかし、誰もその少女を殺すことができず、結局、医療室に連れて行く。
そこでドイツ兵が少女を発見し、皆の前で撃ち殺す。
そのときレビは安堵の溜息を漏らしたそうだ。

アウシュビッツが解放された後、じつは多くの生存者が自殺した。
収容されていたときは生きていくのが精一杯で誰も自殺なんて考えようとしなかった。
しかし、解放された生存者は罪の意識のせいで鬱に陥り、自殺をする者が絶えなかった。
レビは「生存者は決してアウシュビッツの真実を語ることができない」と言っている。
「それは、真実を語ることができる人間はすでに死んでしまったからだ。良き人間だけが殺され、悪人だけが生き延びた」
と締めくくっている。

たしかにアウシュビッツは特殊な環境だったかもしれないが、「灰色の場所」はどこにでもあるんじゃないだろうか?
それはただ気付いてないだけ、もしくは気付いていると認めたくないだけなんじゃないだろうか?
権力関係があるとこには必ず暴力が存在するのだから。

追記:
今日はとても暖かった。たとえ気温が7度でも-14度から
一気に20度も上昇したのだから体感温度はとっても暖かかった。
エスキモーの人達はカマクラの中に入ると服を脱ぐそうなんだが、
-50度の極寒から0度の室内に入れればそりゃ暑いはな、と今日納得した。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-23 15:24 | 文化人類学
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