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文化人類学はすでに「死亡宣告を受けた学問」と言われている。


文化、親族関係という最も人類学を人類学たらしめていた論題が脱構築で崩れさり、参与観察という調査手段、民族誌という表現方法もむしろ虚偽の代名詞に変わった。

どれほどこの問題が深刻かという一例。

うちの学科長が授業中に「いったい人類学って何なの?誰か私に答えを教えて」と生徒に聞き出した。生徒の答えは、「最も多面的かつ文脈を重要視している学問」「他学科との接点を図るフレキシブルな学問」「サバルタンへのコミットを続ける学問」など。
でも学科長は「あの経済学出身の頭が固い学長に私がそんな答えを言って通用すると思う?うちの学科に当てられる経費は年々減ってるのよ。」と交渉役の辛さを暴露していた。

世界で最も有名な大学でこの有様だ。

大学院に進学するか悩んだ時期があった。

経済的な問題や就職の道が狭い、ということより人類学の孕む問題に対して全く答えが出なかったからだ。他者表出の暴力性、理論と暗喩、「体験」から「テキスト」への翻訳。何をするにしても不均衡な権力関係を構築することに繋がる。

まだ八百屋のおっさんのほうがましかも、と真剣に考えた。
しかし、背を向けた人生が楽しいか?と思い直し進学した。

学問とは何か、と自問するときいつも「合わせ鏡」を思い浮かべる。
合わせ鏡の間に立ち永遠と続く空間を凝視する姿勢こそが学問だ、と。

テーゼとアンチテーゼの弁証を続ける空間に立ち続ける。
決して目を逸らしてはいけない。
決して「○枚目に真実が映る」など信じてはいけない。
永遠の恐怖に思考を屈してはならない。
by fumiwakamatsu | 2004-08-27 14:27 | 文化人類学
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