ブランド嗜好な学者たち

一般人がフランス物のブランドが好きなように凡才な学者もブランド嗜好が強い。”フーコー,””ブルデュー,””デリダ,”というフランスの理論家の名前は”シャネル”や”ルイ・ヴィトン”という言葉が一般人に与える響きと同じくらい、もしくはそれ以上に凡才な学者をくすぶってしまう。そして、それらの名前を所有し、顕示しようとする欲求にかられてしまう。

 ここで、ある例え話をしてみたい。
目の前にルイ・ヴィトンの茶色の手提げカバンが置かれているとしよう。
しかし、ルイ・ヴィトンという会社名は存在せず、そのカバンにブランド的価値は一切ない。なのに、そのカバンには12万円という値札がついている。

 果たして12万払ってそのカバンを使用する価値があることをあなたは説明できるだろうか?茶色のカバン特有の機能性、材質、デザインがそれほど他の会社のカバンよりも優れているのだろうか(個人的にはLとVが重なっているロゴが敷き詰められているのをとても醜く思う)?何ヶ月分もの給料を苦労して貯めて、そのカバンを買おうとするだろうか?

 ルイ・ヴィトンのカバンに大金を支払おうとするのは、ブランド名がすでに”一流”なものと確立されているからであり、そのカバンを持ち歩いて他人に見せることで自分と他人との差異を際立たせたいからじゃないだろうか?たとえ、それが意識的にせよ無意識的にせよだ。カバンそのものの純粋な使用価値に12万円が値するのではないはずだ。

悲しいことにこれと同じことが凡才な学者のブランド嗜好にも当てはまる。

「マルクスの理論なんてボードリアールの理論で完全に崩されてるじゃないか」「グラムシの言っている権力論はフーコーの権力論に比べればたいしたことはない」「レビーストロースの構造主義は終わった。今はデリダのポスト構造主義だ」

 と、いう具合にだ。とにかくヨーロッパのトレンディーな理論家の名前さえ出せば事が済むと思っている人がアメリカにも日本にも多い。まるで水戸黄門が印籠を出すようにだ。しかし、その反面、理論家の名前ではなくその理論の使用価値について聞くと黙ってしまう。今自分がやろうとしている研究に特定の理論がどうあてはまり、その理論を使うことによって今まで見えてこなかったどのような側面が見えるようになるのか、そして、その理論は他の理論に比べて使うのが本当に適切であるのか、説明できないのだ。

 なぜこんなブランド嗜好がまかり通るかと言うと答えは簡単。上に名前を挙げたヨーロッパ人の理論は,その内容は知らずとも一流かつ超難解だとは誰もが知っているから、その名前を出して知的ぶりたいという顕示欲に駆られているだけだ。シャネルやヴィトンとなんらかわらない。

 これは私見なのだが、おそらく上に述べた理論家達の言っていることは道標に過ぎず、具体的な事象を分析・解釈するさいにそれほど有効だとは思わない。彼らは一種のパラダイムを作った人達で、ようは、白紙の状態から何を書いたらいいのか、その方向性を示してくれているだけだ。

 社会科学では、各分野(社会学、文化人類学など)の中でサブジャンル(階層化、社会運動、ナショナリズム、ジェンダーなどの主題)が多岐に渡っているので、そのジャンルにに沿った中レベルの理論を唱える名の知れていない人物が多い。もし具体的にものごとを研究するなら、それら中レベルの理論のほうがはるかに役立ち、緻密な分析(解釈)を可能にさせてくれる。

 こう言う自分もファッションに関しては全くお洒落ではないが、学問に関してはかなりブランド嗜好になる傾向がある。最近はなんとかそれを直すために、理論家の名前を出さないようできるだけ努力をしている。

 例えばなんだが、「誰々は、~についてこう主張しているが、別の誰々によると、こういう見方もある」という書き方をできるだけしないようにしている。それよりも、「~という事象については2つの異なるアプローチの仕方がある。一つ目は何々これこれというアプローチで、もう一つは、対照的に何々これこれというアプローチである」という具合にして、理論家の名前をできるだけ表に出さないようにしている。名前なぞは、そういやこのアプローチについてはあいつが言ってたな、と思い出す程度に文末の括弧の中に付記するだけで十分なのだ。

 学部時代に履修していた文化人類学の理論のクラスで先生が言っていた言葉を今でも大切にしている。

「いいですか、私が教えている理論は色眼鏡に過ぎないのです。将来、フィールドリサーチをするときはカバンの中にできるだけ多くの色眼鏡を詰め込んで行きなさい。全ての色眼鏡をつけてみて、一つの現実が全く異なるように見えればよいのです。そして、持ってきた色眼鏡で物足りなかったらあなた自身で一つ作ってみなさい。決して、持って行くカバンや色眼鏡のブランドが”グッチ”や”アルマーニ”のものだからっていい物とは限らないんですからね」

ブランド名のフェティシズムに負けないようにしたい。
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by fumiwakamatsu | 2004-08-27 13:59 | 文化人類学
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