深く考えるとは?

To think deeply in our culture is to grow angry and to anger others;
and if you cannot tolerate this anger, you are wasting the time you spend thinking deeply.
One of the rewards of deep thought is the hot glow of anger at discouraging a wrong,
but if anger is taboo, thought will starve to death.

この引用は「The New Hisotory in an Old Museum」という本から頂いた。

大学院が始まったとき、人類学部のオリエンテーションにて教授2人が
「博士号を取るとはどういうことか」を不安で胸一杯の新入生達のために語ってくれた。
まず1人目の教授は、難しく考える必要はない、と断った上で
「まだ誰も答えてない質問を見つけなさい。それを答えることができれば博士号が手に入るはずです」と語った。
2人目の教授は、学者と職人を比べて
「博士になるということは、知の技術を見に付けるということです。誰にも真似できない、
誰に攻撃されても崩れないよう自分だけの技術を見につけなさい」と教えてくれた。

たしかに2人とも含蓄のある話だったのだが、いまいちしっくりこなかった。
と、いうのも肝心のHowの部分について全く語っていなかったからだ。
一体どうすれば誰も答えてない質問が浮かぶのか?どうすれば知の技術が身に付くのか?
もう少し具体的な話をしてもらいたかった。

そこで、この前、別の教授が、そのHowの部分を授業中に説明してくれて納得することがあった。
我々人類学者は否応にも必ずフィールドワークを行わなければいけない。これは文献調査・数量調査とは全くことなる。
なぜなら、それはとても個人的な体験を学問的知識として「翻訳」する作業だからだ。
しかも、1年や2年かけて研究対象の当事者と時間を共有し、今まで慣れきっていた学問の世界から距離を置くことになる。

たいていの人類学者は、フィールドから帰ってきた半年は論文を書くことができないそうだ。
学問の世界にもう一度順応していくのが難しく、自分のトピックに関する文献を読んでいるうちに時間が過ぎていく。
しかし、教授曰く、ある時期に差し掛かると突然「怒り」がこみ上げてくるそうだ。
それは、どの本を読んでも、自分がフィールドで体験したことを上手く説明していないからだ。
この怒りを原動力にして、「自分ならもっと上手く説明できる」と思い込んだときに斬新なアイディアが浮かんでくるそうだ。
その教授の教え子の1人は、あまりにも怒り心頭してしまい、序章だけで300ページも書いた人がいたらしい。
普通の博士論文は300ページ以内にまとめるものなのに。

フィールドワークは「感情的埋没」が起こるので、他の調査方法に比べて「科学的」でない、と非難されることがある。
しかし、文献を使おうとアンケートに頼ろうと、それは主観を隠そうする手段なだけで、解釈の段階ではどの調査方法も等しく主観的だ。
どの道を辿ろうとも、生まれててくるのは「部分的真実」でしかない。
ならば、主観を捨てずに逆に有効利用してはどうか?
怒りという感情を使って思考を深化できないだろうか?

少なくとも、人類学はその曖昧さを許してくれる稀有な学問分野だ。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-03 13:23 | 文化人類学
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