友情について

学科の同期に自分の書いた論文を批評してもらった。
それが思っていたよりもはるかに丁寧かつ的確な批判をしてくれて嬉しかった。
「批判を怖れずに自分の論文を見てもらえる奴がいて良かったよ」とメールを送ると、
「ばか、そのために俺達同期がいるんだろ?」という返事が返ってきた。
院生として最高の友好関係だ。

友情は資産だ、と思う。
その資産の運用次第で成功が大きく作用される。
新たな高みに達するには、古い使い尽くされた友情を捨て、
未使用で新品の友情を使っていかなければいけない。

こんなことを書くと非情・自己中・冷徹に思われるかもしれない。
そして、「親友がいないからそんなこと言ってるんでしょ?」と誤解されるかもしれない。

たしかに自分には人格の問題があるかもしれない。
本当に親友と呼べれる人間は片手で数えるくらいしかいない。
でも人生の各段階で真剣に話したり一緒に涙したり笑い合った友人は常にいた。
ただ、いつも「ぬるま湯に浸かっていては駄目だ」と反省する時期があった。

例えば、中学時代、部活が終了してから野球部の仲間は毎日遊んでいた。
最初は一緒になって遊んでいたが、次第に誘いを断るようになった。
そして、皆地元の公立高校に行き、1人だけ通学1時間の私立高校に行った。
同じように高校・大学でもある時期が来ると1人で離れて行くようになった。

何も切磋琢磨しあう関係だけが友情とは思わない。
でも屁をこいても普通にいれるような馴れ合いの関係が友情とも思わない。
ただ、新しい人生の局面に入るときは自己変革が必要だ。
そして自己変革は慣れてしまった友好関係の間では行えないと思う。
悲しいことだけど、古いものを捨て新しいものに切り替える必要が出てくる。
その都度新たな友情が築けるくらい柔軟じゃないといけない。

たしかに多くの友人を失って今に至っているが、いつかは昔の友人達と再会できるだろうな、と楽観視している。
子供が生まれ、反抗期に悩み、嫁・婿探しに翻弄するときには小学校のときずっと一緒にキャッチボールをしていた友人に相談するかもしれない。
昔に築いたものはそう簡単に消えるものじゃないだろう。再会の日が訪れるのをを楽しみにしている。
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by fumiwakamatsu | 2004-12-02 15:54 | 雑記
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