告白、安らぎ、標準化、そして権力

ブラピが出ている「ファイトクラブ」という映画をご存知だろうか?
まず物語りは、不眠症に苦しむ主人公が様々な自己告白系セミナーに参加して安らぎを求めるところから始まる。
エイズ・薬害・家庭内暴力などの問題を抱えた人達が集まり、各々のうちに秘めていた不安を告白して慰め合うセミナー。
あるセミナーでは、重量挙げの元オリンピック選手が出てくるのだが、
彼はステロイドを打たれ過ぎたせいでホルモンバランスが崩れてしまい、おっぱいが出来上がってしまった。
過去を打ち明け、涙するその男のおっぱいに顔うずめていると、主人公はなんとも言えない安らぎを覚え不眠症が解消される。

じつは、これに似た経験がある。
(と言っても男のおっぱいに顔を埋めたわけじゃない)
大学時代に住んでいた寮の中では、「自己他己」と呼ばれる儀式があった。
その寮では1年を通じて多くの行事があり、3年生は執行学年として全てを仕切る役目を果たさなければならない。
従って、3年になる直前の春休みに毎日集会を開き、この「自己他己」を通じて結束力を高めるのが慣わしだった。
その内容は、過去を振り返り「自分はどんな人間だったか、今何を目的に生きているか、そしてどんな人間になりたいか」を、
全員の前で発表して行き、その後で皆から意見という名の「批判」を受ける。もちろん取り残しなく全員強制参加である。

部外者から見れば恐ろしい凶弾のように思われるかもしれない。しかし、これが効果大なのだ。
過去を告白するうちに泣き出してくる奴らも出てきて、それを皆で批判した上で暖かく受け入れていく。
この儀式を通じると、自己を曝け出し、崩され、そして「共同体」としての認識の上に再構築されていく。
そして、以前とは別人のように寮行事へと尽くすようになり、その奉仕に喜びを感じるような人間に変わって行く。

しかし、自分達の学年はこの「自己他己」を行わなかった。
最後の最後までこの儀式を批判していた1人なのだが、
当時は反発するだけで、何故この儀式が悪なのか上手く説明できなかった。
結局、「お前達は寮行事を任せられるほどまとまっていない」という理由で
上の学年から正式に執行学年として認定されず、1年が過ぎていった。
寮の歴史で初めての汚点を作ってしまったので、先輩・後輩から「できそこないの学年」として見られていた。

一体なぜ「自己他己」はいけなかったのか、最近になってようやく答えが出てきた。

(つづく)
今回は本当に明日続きを書きます。
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by fumiwakamatsu | 2004-11-22 12:33 | 文化人類学
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